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2024年03月13日

1年間に落とし物として届けられるお金は?

昨日の朝のラジオで、昨年の東京都での警察に届けられたお金(財布)が44億円だったと・・  オドロキ

1日に、1000万以上  日本全体ではその何倍に

東京オリンピック誘致プレゼンで、滝川クリステルさんが、“日本は落とした財布が戻ってくる国”とアピールしておられました

世界中にアピールするほど“稀有”なことなのだとも思います  ニコニコ

私の知った方で、外国でトイレで手を洗う時に、ロレックスの時計を外してその場を離れ、直ぐに気づいて戻ったが、もうなかったと・・

民間の実験で、公園のベンチに財布を置いて、10のうち、何個が警察に届けられるか?

届けられたのは、10のうち、10個 拍手

届けた人に聞くと“困っている人がいると思って・・”

日本人には理解できますが、外国の方からすると、知っている人に対して思うことはあるが、見ず知らずの会うこともない人に対して思いを寄せることはあまりないと

私の経験で、公衆電話で財布が忘れてあることがあり、警察に届けると、持ち主がわかると1割をもらえる権利があるとのことで、それはいりませんというと、放棄する旨を書類に住所名前を書いてくださいと・・

その後に、持ち主の男子高校生からお礼の電話を頂きました

そんな電話などかけなくても、今後会うことも言葉を交わすこともないのに、本当に誠実な対応されると感心しました

新聞に載っていたことですが、外国に仕事で何年も赴任して日本に帰国して、駅でかばんを忘れ、慌てて戻ると、置いた場所にそのまま置いてあって、“ああ日本に戻ってきたんだな”と

私もJRで本を読んでいて、駅に停車したときに降りる駅だと気が付き、急いで手荷物を持って降りて、あとからかばんを持っていないことに気づき、駅員さんに連絡をお願いして、無事戻ってきました

見ず知らずの人を思いやる心は、日本人の美徳と思いますね
  


Posted by 尾上 正 at 06:10Comments(0)

2024年03月05日

人はなぜ、トイレの時間が短いのか ?

便秘の人も多いですね プンッ

忙しい生活や食生活にも原因はあるのですが、遺伝子にも原因があります

人間が生まれて30万年くらいらしいですが (確かそのくらい・・かな)

全ての動物の遺伝子にあるものとして“自分の身を守る”“子孫を残す”というものがインプットされています  
  (これがないと、すぐにその生物は全滅してしまいます)

安全な日常は、人の歴史の中でほんの少しの期間です
以前は動物と同じような生活で、ほかの動物から襲われる命の危険が身近にありました

排尿・排便をしている時間は無防備に近い状態になります

そのため、ちょっと下世話な話になりますが、大便をする時間は「無意識に短くなってしまいます」

排便のタイミングを逃すと、止まってしまいます

年齢とともに、排泄の力も衰えてきてしまいますね

ちょっと下ネタ話になってしまいますが  
  (遺伝子的な話なのですが・・ 本当ですよ ワーイ )

男性は性行為の後に、すぐに“普通の状態”に戻ります

これも、遺伝子的に組み込まれていて、“ボーとしている”と、危険な状態が迫ったときに、対応ができなくなるためです

昭和の名曲に、ジュディーオングの「魅せられて」の歌詞の中で、「昨日の余韻が隅々に・・」

男性は、女性と家族を守るという役目があり、余韻に浸っていては、以前は外から襲ってくる動物や人などから身を守れませんでした

女性は妊娠すると便秘がちになります

子供を体の外に早く出さないために“排泄”の働きが抑えられるためです

人の歯は親知らずを除いて28本あります

犬歯は4本で、1/7

体は、動物性の食べ物も必要だと教えてくれていますが、現代ではたんぱく質の摂取量は、戦後とあまり変わっていないにもかかわらず、動物性の脂肪摂取量は約5倍に

遺伝子に組み込まれたものは、すぐには変わらないので、その弊害は大腸がんを含め、いろいろなところで出てきています

今を生きる人も、過去の情報を引き継いでいます
  


Posted by 尾上 正 at 19:29Comments(0)

2024年02月28日

きょう一日は、どんな日なのか?

「メールマガジン」から

児童福祉施設で働く、ある女性スタッフの話。

彼女は50歳すぎ。

老眼鏡を必要とすることになりショックを受けていました。  

ある日、施設の子どもが声をかけてきました。

「先生、眼鏡かけているの?」

彼女は腹立たしさから、「老眼鏡!」 と言い放ちました。

すると子どもは 意外な返事をしました。

「よかったね」

「何がよかったの?」

「老眼鏡がかけられるまで生きられてよかったね」

この施設の子どもたちは成人するまで生きるのが難しい障害を負った子どもたちでした。

限られた命を生きる子どもたちは、こんな夢を語るそう。

「大人になりたい」

大人になるまで生きてこられた僕らは、本当は、今日も夢のような1 日を過ごしているんです。



依然読んだ本で、フィリピンでゴミ置き場で暮らし、お金になるものを探して生活している少女に

「あなたの夢は何ですか?」  「私の夢は大人になるまで生きることです」

その地域で暮らしている多くの子供は、大人になるまで生きるのも難しく、笑顔も可愛い少女も、その後に足の傷の破傷風で亡くなっています

体が若い時の様にスムーズに動かなくても、それだけ頑張ってきた証

ある方は、痛みの出る足を「よく頑張ってきたね。ありがとう」といたわってあげていると・・

またある方は、毎日お風呂の中で自分の体を両手で抱きしめ「今日もよく頑張ったね」と、さすってあげていると・・

見方によって、きょう一日も素晴らしい日に クローバー

  


Posted by 尾上 正 at 06:20Comments(0)

2024年02月21日

幕末の、時代を動かした人たちの年齢は

メールマガジンから

今から約170年前、日本に黒船が来航した当時、

勝海舟は31歳、

西郷隆盛は27歳、

吉田松陰は24歳、

坂本龍馬は19歳、

福沢諭吉は19歳、

大隈重信は17歳、

高杉晋作は15歳、

伊藤博文は13歳でした。

この若者たちが、「これは日本の危機だ」と立ち上がったことで、列強の属国とならず、独立国として今の日本が存在しています。


明治維新で時代の壁に立ち上がった、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、吉田松陰、江藤新平・・

多くの人が、時代の波に命を散らせています

高杉晋作は、長州藩の命で上海で行ったときに、当時の中国の惨状を見ています

当時の中国は、イギリスとの阿片戦争に負けて、中国人がイギリスに奴隷のように扱われて、土地を植民地化されています

阿片戦争は、中国とイギリスとの貿易で、中国側からは絹などを輸出していましたが、イギリスからは、貿易の代償として“阿片”を中国に届け、その結果、中国で阿片が流行し、廃人のようになった人が多数になり、中国側が阿片の輸入を禁止しました

イギリスがその対処に対して反抗して戦争となり、中国が負けて、中国本土のほとんどが植民地化されます  

日本では、長州藩(山口)とイギリス海軍が戦争になり、長州は敗戦します  

戦力の差が歴然とあり、長州の砲弾が届かず、イギリスからは大砲を撃たれ続けます  プンッ

敗戦交渉で、イギリスとの講和役に長州藩から任されたのが“高杉晋作”

長州藩からは、藩の命令に従わない問題児でしたが、後のない危機に、
この人物しかいないと思われたのだとも思います

高杉は、イギリス側に対して、講和の席で、いきなり、古事記以来の日本の歴史を何十分も雷の様に話し続けます

イギリス側が、交渉にならず根負けして、長州は土地の賠償責任を免れます

その後に、伊藤博文が、「あの時は危なかった」と

時代の“もしも”ですが、高杉の“雷電”のような力がなければ、中国の香港の様に、明治の日本にイギリス領があった可能性が高くなります

アジアで欧米の植民地にならなかったのは、日本とタイの2国だけです

欧米の力に対して強い反発を続ける日本に、植民地化するには代償が大きすぎると考えられたともいわれています

日本は“危機”に対して、一丸となって突破する力を持っていることは、歴史が証明しています

もし政治が動かないとすれば、まだ危機といえるほどの切羽詰まった状態ではないのかもしれませんね


  


Posted by 尾上 正 at 06:05Comments(0)

2024年02月14日

能登半島地震を経験して思う、日本の危機管理能力の強さと弱さ

震災で1月2日まで北陸高速道路が通行止めで、3日に兵庫に向けて通ったときに、能登へと向かう50台以上の自衛隊の車とすれ違いました

7日に帰省したときには、100台以上の、香川、岡山、徳島、愛知など各県の救急車、消防車、自衛隊、給水車の車とすれ違いました

全国各地から、ピストン輸送で支援を回しておられるのだと思います

現場で動いている方々には、本当に頭が下がります

公的にも、私的にも、見も知らぬ方々への思いや行動をとることのできる日本人は、まさに“和”の国だとも思います

それに対して、欠けているところは  (あくまで個人的ですが)

阪神淡路大震災時に、当時の村山首相が震災のことを知ったのは、“テレビ報道”でした  オドロキ

ラジオでたまたま聞いたのですが、当時の日本の危機管理の官僚トップが、“すぐに現地に連絡を入れたのですが、繋がらなかったので対応できませんでした。今はきちんと対応できるようになっています。”

関西のラジオのコメンテイターが、“リスナーの皆さんにはいろいろ意見があるかもしれませんが・・”と

震災が起こり、連絡が取れなく連絡もこなければ、とんでもないことが起こっていると思わないのでしょうか

そのことよりも、日本の危機管理トップが、“繋がらなかったので・・。” と、平然と言ってのける恐ろしさを感じました

私の住む姫路の自衛隊は、震災直後に救援に向かうべく準備をして、政府に要請を出したのですが、許可が下りたのは、後々になってしまいます
   (自衛隊は政府の許可がないと動かせません。大戦時に日本陸軍が
    暴走した教訓で大切なことですが、最近は政府も大丈夫かなとも) 

日本人は、“言霊信仰”の思想もあって、縁起が悪いことを言うと、それを招き寄せると思うところもあり、口にするところもはばかられるところもあります

もちろんそれだけではないのですが、まだ見ぬ危機への準備は後手になりがちですね

輪島の朝市では、3月23日の金沢の「出張朝市」に向けて、富山で仮店舗で準備されていると・・

早く新しい道が現れるようにと願います クローバー
  


Posted by 尾上 正 at 06:25Comments(0)

2024年02月07日

ウルトラマンのスタイルのモデルは「ジェームズ・ディーン」

日本経済新聞記事  俳優・スーツアクター古谷敏さん 

「ヒーローはへこたれない」から

古谷敏さんは、初代ウルトラマンのスーツの中でウルトラマンの今に至る姿を作り上げていかれます


ウルトラマンの闘いのスタイルは、円谷監督から任されました。ですが「宇宙人のヒーローらしく」と言われても、見当がつきません。お手本がまったくないのです。

ボクサーのようにファイティングポーズをとるのはおかしい。

考え抜いた末、頭に浮かんだのは大好きだったジェームズ・ディーン。
やや腰を落とし、前かがみで。拳は握らない。

怪獣と向き合うウルトラマンは、映画「理由なき反抗」で憧れのジミーが演じた決闘場面のイメージなんです。

菩薩(ぼさつ)のようなアルカィック・スマイルをたたえ、悪の退治ではなく、人間や怪獣を救済するために現れる

脚本が、すごく深いんです。怪獣が出たら倒して、宇宙に帰るという単純なものではないんです。

たとえば「ジャミラ」は遭難した宇宙飛行士が、過酷な環境で変異した姿です。

故郷の地球に帰ってきた宇宙開発競争の犠牲者を、一匹の「怪獣」として倒す。撮影中、マスクの下で涙が止まりませんでした。

村で迫害を受ける少女を助けるため出現した「ウー」は山へ消え、父通事故に遭った少年の魂が宿る「ヒドラ」はかなたへ飛び去ります。

ウルトラマンはそれを見送りました。

怪獣を追って地球に来たときウルトラマンは科学特捜隊のビートル号と衝突し、ハヤタ隊員を死なせてしまっています

そうした罪を背負い、独りで闘っている。

そんなヒ―ロー像を目指しました。

ウルトラマンが子どもたちに受け入れられたのは、「弱いヒーロー」だったからだと思います。

弱いから、子どもたちは応援してくれる

そのために首をちょっと垂れたり、背中に寂しさを漂わせたり、「哀(かな)しみ」を感じてもらうような演技を心がけました。



ウルトラマンは、日本を代表するヒーローですが、勧善懲悪とは違いますね

ウルトラマンに出てくる怪獣は、愛されるユニークなものも多いです 
カネゴンやバルタン星人・・

ウルトラセブンでは、地球に人間が現れた以前から存在する“怪獣”を人間とウルトラセブンが倒すシーンがあります

これは、地球に人間以前に存在していた様々な生き物を、人間が絶えさせていることを示唆しているのではしているのではないかとも思います

日本経済新聞記事では、人間がいなかった時代には、ほとんど全滅する種はいなかったが、人間の活動が広がった1900年以降は年1種、1975年以降は年1000種を超え、現在は年4万種が絶滅していると推計していると・・・

ウルトラマンは、何か国宝の広隆寺の弥勒菩薩のような穏やかな美しい顔をしているのと思うのは飛躍すぎでしょうか

去っているときも、怪獣を倒して意気揚々としてではなく、少し寂しげです

怪獣はすべて“悪”ではなく、それでも倒さなくてはならない・・

日本人としての、負けゆくものへの“慈しみの心”があるのではも思います



  


Posted by 尾上 正 at 06:16Comments(0)

2024年01月31日

日本の今、目の前にある“危機”

報道もされていますが、尖閣諸島周辺で中国海軍が配備されています

尖閣諸島周辺に中国軍が常駐するのが“既成事実化”されようとしています  フンッ

中国海軍は今、台湾を囲むように4か所配備しています

有事の際は、アメリカ軍を台湾に近づけないためともみられています

以前には台湾総統の中国への反発を受けて、台湾を囲むように台湾近海に4発ロケット弾が撃ち込まれました  ロケットロケットロケットロケット

いつでも、あっというまに踏みつぶすとの“脅し”

ロシア軍がウクライナ国境に軍を進めたときは、アメリカはプーチン大統領がウクライナ侵攻を決断したとつかんでいたと

今も、どうなっていくのかはアメリカ政府はつかんでいるのでしょう

アメリカン大統領選挙のすきをついて、何かかが動くこともあるかも・・

あるいは、他国への関心が薄いトランプ氏が大統領に返り咲いたときは、“悲願の台湾統一”へと動くかも

香港の自由化を力で抑え込んだことと同じ事が起こるかもしれません

中国はロシアのGNPが10倍ほどあり、軍備も比較にならないくらいの規模で、大きなリスクが目の前にあります

尖閣諸島も中国領土だとする中国が、台湾進攻と同時期に侵攻することはあまりにリスクが大きくなりすぎるのでないとは思いますが、今、目の前に銃口を突き付けている状態は認識しておかなければと思いますね
  


Posted by 尾上 正 at 06:16Comments(0)

2024年01月24日

志の差は才能を上回る

メールマガジンから引用

シドニー五輪で金メダルを取った高橋尚子選手が初めて小出義雄監督率いる積水化学の門を叩いた日のことを監督はこのように述懐しています。

「Qちゃん(高橋選手)を入れるのはためらったんですよ。実績もないし、大学を出ていて年を取っていたから」

それでも、入社を許したのは「走りたい。そのためならお給料もいらない」という健気さに心動かされたからだったといいます。

もう一人、小出監督が育てたオリンピックメダリストがいます。

バルセロナ五輪で銀、アトランタ五輪で銅を取った有森裕子選手です。

生まれつきの股関節脱臼、さらに、幼少期の交通事故の後遺症でうまく走れない。

しかし、何度も電話をかけて入門を請う熱意に負け、小出監督は「次期マネジャー候補」として入社させました。

入社後、案の定、毎日チームの一番最後をトコトコと走っていた有森選手でしたが、ある日、小出監督に願い出ます。

「監督、私をオリンピックに連れて行ってください。
そのためだったらどんな練習にも耐えます。
ほかの人が1時間練習するなら、私は2時間がんばれます」

小出監督は、監督人生で得た実感をこのように振り返ります。

「勧誘した子は強くならなかった。
一銭もかけなかったのが強くなっている(笑)。
要するに、志の差ですよ」

人間に能力の差というものは確かに存在するのかもしれません。

しかし、能力の差だけで勝負が決まってしまうほど人生はつまらないものではないということを、有森選手や高橋選手のエピソードは教えてくれています。



高橋選手がQちゃんと呼ばれているのは、社会人1年生の時に、かくし芸でキュウリのQちゃんの踊りを踊ってから、ニックネームになったとテレビで聞いたかな・・  

小出監督は高橋選手がオリンピックで走っているときに、これまですべてやりつくしたと、レース中はビールを飲みながら見ていたとの逸話も残っています

  「ちなみに今年の箱根駅伝を制した青学の原監督も、駅伝直前はどうさ
  れているのですかとの質問に、これまで準備しているので、年末は紅白
  歌合戦を見ていますよ・・とインタビューで話されていました」

小出監督は空気の薄いアフリカ高地でのトレーニングで、高橋選手に「苦しいか」「苦しいです」「そうか、頑張れよスマイル

  休もうと言ってくれないのね・・

志は一番の基本になります  建物でいうと土台でしょうか

ただ、志だけでは空回りにもなることも

進む道が見えない時に、優れた指導者から道筋を導いてくれることも多くありますね

イチローと仰木監督、大谷と栗山監督

仰木さんも、栗山さんも選手としては華々しいほどの活躍ではありませんでしたが、思いをつないで偉大な選手を育て上げました

まず「思い」がスタートでしょうね
  


Posted by 尾上 正 at 06:08Comments(0)

2024年01月17日

イライラは誰かがどこかで止めなくちゃね

日本経済新聞 「マナーのツボ」から

米国で仕事や育児をして帰国した方から「日本の中高年のおじさまたちがイライラしていて不機嫌に感じられる」という話を聞きました。

荷物があたったなどちょっとしたことでも、大声できつい言葉を投げられたことは一度や二度ではないそうです。

そういえばタイから帰国した女性も日本人はイライラしていると言っていました。

寛容さがないとうことでした。

例えば電車の中で泣いている赤ちゃんに「うるさい、他の車両に移って!」と言われたこともあるそうです。  フンッ

タイで は周りの人が「どうしたの?」と赤ちゃんに優しい声をかけてくれるとのことです。  スマイル

男女同権、ジェンダーレスの時代ですから男性や女性ということもないですが、イライラした態度はいただけません。

数十年前に五月みどりさんとテレビの収録でお話をしたときに「嫌な運転手のタクシーに乗ったときほどチップを弾む」と言われました。

「なぜですか」と質問したところ「イライラは誰かがどこかで止めなくちゃね」ということでした。

人間は親切にされるとうれしくなりますから、次にその夕クシーに乗ったお客様には運転手も優しく接したかもしれません。

イライラも優しさも伝染するのが世の常ならば、今年はイライラの連鎖を断ち切り笑顔で人に接する年にしませんか。

五月さんの「イライラは誰かがどこかで止めなくちゃね」は名言だと思います。
(マナーデザイナー 岩下 宣子)




タイは“微笑みの国”ともいわれて、親日国としても知られています

そういった外国の人から、日本人の今の姿に対して寛容さがないとのイメージは残念です

他の国に対して経済的には豊かなのですが、目に見えない日々のイライラがあるのでは

キャッチボール  まずキャッチがあって、そのあとにボールを投げる・・  

野球のキャッチボールは、目の前の体の真ん中に、取りやすいボールを投げます

いろいろなマイナスなボールをキャッチすることもあるかもしれませんが、それをどう受け止めるか・・

その後に、どうボールを投げるのかは、自分の手の中に・・

できれば、にっこりと受け取っていただけるようなボールを投げたいですね


今日 1.17 今年で29年になります

今日のこの日は、亡くなった方の生きたかった日

大切にしたいと思います
  


Posted by 尾上 正 at 06:04Comments(0)

2024年01月10日

親の愛は海よりも深く・・

「精選女性随筆集、向田邦子」から

小学校四年生の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。

Iは足だけでなく片目も不自由でした。背も飛び抜けて低く、勉強もビリでした。

ゆとりのない暮らし向きとみえて、衿があかでピカピカ光った、お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。

性格もひねくれていて、かわいそうだと思いながら、担任の先生も私たちも、ついIを疎んじていたところがありました。

たしか秋の遠足だったと思います。

リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばにIの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。

かっぽう着の下から大きな風呂敷包みを出すと、「これ、みんなで」て小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。ポカポカとあたたかい持ち重りのする風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げてIの母親の姿にいやとは言えませんでした。

歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。

Iの母親は、校門のところで見送る父兄から、一人離れて見送っていました。

私は愛という字を見ると、なぜかこの時の風呂敷とポカポカのあたたかいゆでたまごのぬくみと、いつまでも見送っていた母親の姿を思いだしてしまうのです。

Iにはもうひとつ思い出があります。運動会の時でした。

Iは徒競走に出てもいつもとびきりのビリでした。その時も、もうほかの子供たちがゴールに入っているのに、一人だけ残って走っていました。

走るというより、片足を引きずってよろけているといったほうが適切かもしれません。Iが走るのをやめようとした時、女の先生が飛び出しました。。

名前は忘れてしまいましたが、かなり年配の先生でした。小言の多い気難しい先生で、担任でもないのに掃除の仕方が悪いと文句を言ったりするので、学校で一番人気のない先生でした。

その先生がIと一緒に走り出したのです。先生はゆっくりと走って一緒にゴールに入り、Iを抱きかかえるようにして校長先生のいる天幕に進みました。

ゴールに入った生徒は、ここで校長先生から鉛筆を一本もらうのです。校長先生は立ち上がると、体をかがめてIに鉛筆を手渡ししました。

愛と言う字の連想には、この光景も浮かんできます。

今から四十年も前のことです。

テレビも週刊誌もなく、子供は「愛」という抽象的な単語には無縁の時代でした。

私にとっては愛とはぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。

「神は細部に宿りたもう」という言葉があると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。


昭和四年生まれています向田邦子さんは、東京大空襲で、眉毛が焼け焦げながら、命からがら助かったという戦争体験も持っておられます。

当時は、日本全体が想像もつかないような苦しい状態

著者の中で、我が子の体が不自由で、遠足でも遅れているしまうだろう・・

それでも受け入れてもらいたい・・

そのために、朝から何十個の卵をゆでたまごにして学校にもっとこられた

今は大人になった人も小さい時もあり、親からの「愛」を受けて命を育ててきたのだとも思います

  


Posted by 尾上 正 at 06:13Comments(0)

2024年01月02日

富山で能登半島地震に遭遇しました。

新春のおめでたい雰囲気を吹き飛ばすような大きな揺れでした

親類の中には倒れた灯籠の下敷きになって骨折されたかたも・・

昨日の夜12時頃に「お疲れ様でした」との声が家の外から

避難先の小学校でお世話をされておられた方々だと思います

たくさんの方の支えがあって社会が回っているのだと改めて思います

阪神大震災以来、日本は断層の活動期に入ったとも言われています

天災は忘れたことに・・と言われますが、最近は毎年ありますので、防災は気をつけていきたいですね


実家の外壁も倒れてしまいました。



  


Posted by 尾上 正 at 09:40Comments(2)

2023年12月27日

「個性」は、どこから作られるのか

喜多川泰著 「おあとがよろしいようで」から

同じ晰なのに、演る噺家によってまったく違った雰囲気になるんだよ。

落語好きには、あいつがいい、こいつはつまららえってあれこれ批評するする奴もいるけどさ、俺にしてみれば、『みんな違ってみんないい』だ。

「本当に、みんな全然違いますよね」暖平はしみじみ頷いた。
「こういうのを『個性』ってんだよ。覚えときな」
「個性?」

「ああ、師匠から教わった通り、まったく同じようにできるまで練習して、間の取り方や、表情の付け方まで真似してできるようになって演ってみるんだけど、全然違うものになる。そうやって現れてくるのが個性ってやつだ。」
誰の真似もしないで、誰もやってないことで、オリジナルを生み出して、自分らしさってやつを発揮しようとしても個性なんて育たないんだよ。

「個性的」という言葉は「人とは違う」という意味で使われる。
だから、人とは違うことをすることで個性が磨かれるのではないかと思っていた。
だが、いざ人と違うことをやるとなると難しい。
「自分にしかできない何かってなんだ」
あの人みたいになりたいと、まるごとその人のまねをしようとしても、どうしても同じものにはならない。そうやって生まれる違いのことを「個性」という。


一部の例外を除いて、自己流一本ではなかなか突き抜けませんね

守破離と言われますが、まず守る(真似る)、破(やぶる)、離(離れる)

一番始めに、守るがあります
始めがないと、その次に進めません

ソフトバンクの孫さんは、学生時代の時に日本マクドナルド創業社長の藤田伝さんに会いにいき(始めは会えなかっのですが、何度も会いたいと訴えてくる孫さんに興味を持たれのでしょう)、今後どういった業種が伸びていくのかを聞いています。

「これから伸びるのはコンピューターだ」

その後の孫さんの人生の歯車が回り始めます

伸びていく多くの人は、先人の歩いた轍(わだち)を歩み、その後に道をはずれ、自分の道を作り始めています

学びは真似びからも大切だと思います  


Posted by 尾上 正 at 06:02Comments(0)

2023年12月20日

「もの」に「思い」をのせれば、最高のプレゼントに

ヤマサキマリ著 「扉の向こう側」 像の灰皿から

ソ連の崩壊から2年、中南米における唯一の社会主義体制国家キューバは、当事米国などからの経済制裁を受けて困窮状態に陥っていた。

日々の計画停電もなけなしのエネルギーを保つための対策だが、物質の輸入も途だえてしまったので、乾電池やろうそくのような代替品も全く手に入らなかった。

ハバナの小学校にノートを届け、燃料不足で動かなくなった重機の代わりにサトウキビを収穫するというボランティアが目的で、当事暮らしていたイタリアからキューバに訪れていた私は、市内にある15人家族に居候をしていた。

とある夕方、ベランダで子供たちと絵を描いて遊んでいると、ふと脇のテーブルに置いてある灰皿に目が止まった。

像の形をした可愛らしい陶器の灰皿だが、主人が葉巻をくゆらす時に使っているものだった。

殺伐としたその家の中で、色といい形といい際立った存在感があった。

これかわいいですね、とベランダに出てきた妻に伝えると、「お父さんと新婚旅行にサンティアゴで買ったのよ。何故だかそれだけ壊れないで残っているの」と、愛おしそうな目を灰皿に向けたまま微笑んだ。

帰国の日、空港のロビーで私を呼ぶ声に振りかえると、朝別れてきたばかりの一家の長女が子供たちを連れて、こちらへ走ってくるのが見えた。

私の前で立ち止まると息を整え「たいしたものじゃないんだけど、これキューバと私たちの思い出に渡してくれって両親から」と新聞紙で包まれたものを差しだして私の両手で掴ませた。

「でも恥ずかしいから飛行機の中に入ってから見てほしいって」

再び子供たちと熱い抱擁を交わし、たくさん手を振って別れてから飛行機に乗り込んだあと、言われた通りに、離陸後しばらくしてから新聞紙を開いてみた。

包みの中から現れたのはあの灰皿だった。

綺麗に洗ってあるが、ところどころ主人が吸っていた葉巻の焦げ跡が残っていた。

私は狭いシートに、体を屈めてしばらくの間誰にも気がつかれないように、黙って泣いた。


何十年前の像の灰皿・・ たばこの焦げ跡もある・・

今でいえばリサイクルショップに持ち込んでも値段はつかないのでしょう

でもその裏に、マリ、キューバを忘れないで、私たちと過ごしたことも覚えておいてね

そのために、新婚旅行で唯一残っていた自分の「宝物」を大切な人に・・

ものには思いが込められると最高のプレゼントになりますね

もうすぐクリスマス
「あなた」に素敵なクリスマスでありますように ✨✨  


Posted by 尾上 正 at 06:03Comments(0)

2023年12月13日

祝、姫路城、世界遺産30年

姫路城が世界遺産に認定されて、30年になりました  

記念行事で、いろいろなイベントが催されています
  (2日前に打ち上げられた花火は綺麗だったな・・  花火)

姫路城は「白鷺(しらさぎ)城」としても言われて、白壁が映える城ですね

白鷺が羽を広げた姿に似ていると名づけられていて、優美な姿を見せています

大阪城のもともとの城は黒壁で、派手好きな秀吉が「金箔」が映えるように、壁を黒壁がしたのだと
  (白壁では、金はぼやけて目立ちません)

それに対して、江戸城は白壁です 
  (江戸時代に焼失し天守閣は平和になったので再建されませんでした)

姫路城主の池田氏は、徳川方だったので、それに倣い白い城にしたのだと思います
  (豊臣方の加藤清正の熊本城は、黒壁になっています)

姫路は第二次大戦に2度空襲に会い、当時の写真を見ると、見渡す限り焼け野原になっていて、その中に姫路城が残っています

アメリカ軍は、当時姫路城を認識していなく、城を避けることはなく、すべてを焼夷弾で爆撃しています
  (京都の文化はアメリカにも知られており、空襲はされませんでした)

夜に飛行した爆撃機は空から姫路城の堀の水を見て、池か沼地だと判断して攻撃しなかったともいわれています

それでも天守閣を含め、数発の爆撃を受けましたが、なぜか全て不発弾になりました
  (偶然か、必然か・・  神様に守られたのでは・・)

戦後、姫路城はあばら家の様に荒れ果てて、壁も崩れ放題でした 
  (当時は食べるのに精いっぱいで、それどころではなかったのかもしれ
  ませんが)

姫路のシンボルの姫路城を復興しようと、「昭和の大改修」が行われます

平成も大改修が行われましたが、城の大黒柱に使う大木が、日本の林業が衰えて、昭和の大改修のような大木が全国に探してもなく、2つの木をつなぎ合わせて、作られています
  (伊勢神社は、20年に1回の改修のために全国で必要になる木の植林
  を続けています)

通常は世界遺産は1つの国では文化遺産として1つが指定されるのですが、法隆寺と一緒に第1回に指定されています

もし、1つだったら、世界最古の木造建築の法隆寺が指定されたと考えられていて、そういう意味でも運の強い選ばれた城ですね

いつまでもその美しい姿を残していってほしいと思います お城
  


Posted by 尾上 正 at 06:27Comments(0)

2023年12月06日

今の小学生は、本を1ヵ月に12冊読んでいる・・!

日本経済新聞記事から

全国学校図書館協議会が2023年に実施した学校読書調査によると、小学生(4~6年生)が5月の1ヵ月に読んだ本の平均冊数は12.6冊、中学生は5.5冊だった

小学生に関していえば、2000年は6.1冊だから大幅に増えている

多くの学校は朝の授業の前にみんなで本を読む「朝の読書」の活動をしている

朝の読書は、2人の教師が提唱し、全国に広がった

授業の前の朝の時間に10~15分程度の読書の時間を設ける

「みんなでやる」「毎日やる」「学校が指定せず好きな本でよい」「感想文などを求めず、ただ読むだけ」が4原則になっている


今の小学校では、朝の読書の時間があるのですね  本  

ほんの少しのかじり読みもあるのかもしれませんが、大人で1ヵ月に3冊以上読んでいる方は少なくなっているのでは  
  (スマホを見ている時間はとても長くなっていますが)

子供のころの習慣は、大人になってからも続くことが多いので、本当に良いことだと思います

今はデジタルで読書もできるようになっていますが、本に書かれた文字とデジタルでは心に入るものが少し違うのではと思っています

極論では、仏壇の前での教本がアイパットでは、書かれている言葉は全く同じでも、心に入ってくるものは違うのでは

文字という情報の“知識”を“知恵”に変えるには、自分への“変換”が必用です

その途中の“考える”という工程が、本では素晴らしいものだと思いますね



H1法話グランプリ2023

年に1回、全国から宗派を問わず10人のお坊さんが、10分間の法話を話されます

グランプリは選ばれますが、法話にはもともと順位はないので、仏教に関心を持ってもらいたいとの趣旨で開催されています

https://www.youtube.com/watch?v=eiekT8O3PVo&t=9051s

  


Posted by 尾上 正 at 06:08Comments(0)

2023年11月29日

追悼、作家伊集院静さん

作家の伊集院静さんがお亡くなりになられました

個人的に、とても好きな作家さんでした

“最後の無頼派”とも言われて、著書のエッセイの中では

当時独身の伊集院さんは、すでに有名でありながら、旅、お酒、競輪や海外のカジノなどに数億円をつぎ込み、銀座で飲んだいるときに自分の住んでいるところを話したところ、店の女の子がおもしろがって、店が終わった後にみんなで家を見に来て、「静ちゃん、こんなところに住んでるのー」と、当時住んでいた安アパートの、机一つ以外何もない部屋をみて、きゃっきゃっ盛り上がっていたと

一緒に来た井上陽水さんが、「あんた、これ・・・」と、絶句していたと

こんなに自由奔放に生きた作家さんは、今後現れないのでは

著書での読者からの質問コーナーでは、質問者に対して「ばかもん!」と叱責しながら、その言葉の裏に、負けるな、頑張れ・・という「優しさ」を感じました

学生時代に、弟さんを海で亡くして、その第一発見者となり、そのあとの死生観に影響を与えたとも思います

ご自身は、自分は無から小説を書ける作家ではなく、自分の経験から言葉をつづる作家だと 本

著書「なぎさホテル」では、最初の離婚を経験し、全てをなくし、東京から故郷の山口に帰る途中に、東京に来てから海を見てなかったなー・・と、逗子の海に降り立ちます

昼の穏やかな海を見ながらビールを飲んでいるときに、なぎさホテルのI支配人に「昼の海を見ながら飲むビールはおいしいでしょうニコニコ 」と声をかけられて、その後になぎさホテルに何年も住むことになります

最初はお金もなく、ろくにホテル代も払えないのに滞在させてもらえて、旅に出る際はお金を貸してもらうことも

ホテル在中に、本を書き始め、作詞活動も始めます

近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」は、今も歌いつがれてます マイク

作詞を依頼されたときに近藤真彦さんに、「どんな曲がいいの?」 「ギンギンがいいです!」

そこから歌が作られます

I支配人に、その後に「どうしてこんなに親切にしていただけたんですか?」

「それがホテルですから・・それに、私は人を見る目は持っているんですよ」
                                        
哲学者の森信三先生は、「人はあうべき人に必ず会う、それは一瞬早くなく、一瞬遅くなく」

もし、逗子の海でI支配人に声を掛けられなかったら、作家伊集院静は存在していません

それは偶然ではなく、天からの必然だったのだとも思います  
あなたはこれから文字を書きなさいと

多くの人に愛された伊集院静さん

著書では「言葉には、人に勇気を与える力を持つと信じている」と書かれていましたが、本当にいろいろな人に勇気を与え続けていた作家さんでした

いまごろは、I支配人を含め、多くの人と笑顔で会っているのでしょう

人を愛したやさしい笑顔に、ありがとうございました


  


Posted by 尾上 正 at 06:26Comments(0)

2023年11月22日

なぜ日本人には糖尿病患者が多いのか

成人病が生活習慣病と名前が変えてからずいぶん経ちますが、(年齢ではなく、生活習慣が病気の原因との位置づけでは、すごく意味があったと思います)、体質も関りはあります

日本人は、それほど大柄な人が見られない中で、(アメリカ人の方の中にはお腹がすごく大きな人も多くみられますね)、糖尿病は国民病ともいえるほど多くなってきています

日本の国土では、自然が豊かで、野菜が多くあり、あまり肉類の食べ物をとることは少なく、動物性の食べ物は主に魚からとっていました

それに比べ欧米では、自然からの食べ物の割合が少なく、エネルギーを得るために、動物性の食べ物の割合が多くなり、長年の間にそれに合わせた体質になっています

日本人の腸は欧米人よりも約1メートルも長く、少ないカロリーから多くのエネルギーを得やすいようになっています

長い腸の中に肉類が増えると、消化に時間がかかり、リスクも増え、大腸がんは女性のがんの死亡原因の1位になっています

高カロリーの食事が少なかったため、欧米人に比べ糖分を体に取り込むインスリンは約半分くらいしかなく、糖分を多くとると、体に取り込まれずに、血液中にたまってきてしまいます プンッ

何万年も続いてきた日本人の体質は、高カロリーや高い糖分を処理する体にはなっていません

それでも甘いものも欲しいので、食べるのであれば間食ではなく、食後に食べるとよいです  みかん

血糖値は食後2時間後に最も高くなりその後に下がっていきますが、8時に食事をして10時に間食をすると、血糖値は下がらないだけでなく、その値からさらに階段を上がるように上がってしまいます

血糖値が大きく上がるのも体への負担ですが、上がり続けるのがよくないですね

ジョギングして、さあ休もうとするときに、また走れと言われると体は参ってしまいます

インスリンを出している膵臓も、休む時間が必要です

懐石料理の最後に小さなデザートがついてきますが、食後なので小さなもので、お腹も心も満たされます

食べ方ひとつでも大きく変わることはありますね
  


Posted by 尾上 正 at 06:17Comments(0)

2023年11月15日

毎日、動植物が100種類以上、毎年4万種が全滅している・・・!!!

日本経済新聞11月記事から

地球上の生物は約175万種、その中で毎年4万種が消滅している

人間がいなかった時代には、ほとんど全滅する種はいなかったが、人間の活動が広がった1900年以降は年1種、1975年以降は年1000種を超え、現在は年4万種が絶滅していると推計している

驚異の1つは農薬

ミツバチの大量死との関連死が指摘されている害虫削除の農薬ネオニコチミノイドは、水田の小動物を減らし、それを食べている魚が減り、魚をエサにしている鳥も減る

鳥は人間以外には敵がほぼいない生態系ピラミッドの頂点に位置するので、鳥の全滅は生態系が崩れていることを象徴する

人は20種類ほどいたが、今はホモ・サピエンスだけが残り、他は全滅している

我々だけが生き続ける合理性はない

ロシアとウクライナ、イスラエルとハマス・・  これほど同種同士が殺しあう動物はいない

種として絶滅を迎える前に、人為的な最期を迎える日が来てもおかしくはない



人間も175万種類の“1種類”にすぎませんが、そのそばで、1日100種類以上、年間4万種が絶滅しているとは・・・・ オドロキ

日本オオカミや、日本のトキが過去に絶滅したことは知っていましたが、こうして生きている1日の間に、100種類以上が絶滅しているのは、想像をはるかに超えた怖いことです

少し前にも“ミツバチ”が激減し、花の受粉が困難になっているとの報道を見ました  お花

受粉ができなくなると、農作物ができなくなります  ももぶどうみかんりんご

小さい動物がいなくなると、その先のすべてのものに影響を与えます

自然という大きな川の流れを変えると、手痛いしっぺ返しがありますね


  


Posted by 尾上 正 at 06:14Comments(0)

2023年11月08日

パレスチナとイスラエルのいさかいの“源”になったものは

イスラエルのガザへの攻撃が続き、死傷者の7割は女性と子供との報道がされています

いつの時代にも、戦争は悲劇を生み出します  大泣き

パレスチナとイスラエルのいさかいの“源”になったものは

第一次大戦前は、地中海東岸はパレスチナ人が住んでいましたが、当時統治していたイギリスが、当地のユダヤ人の建国を支持し、同時にパレスチナ人にも独立を約束しました

二重の所有権が生まれることに・・

大戦後に、国連でパレスチナをアラブとユダヤに分割することが提案されましたが、決別し、一方的にイスラエルが建国を宣言し、反発したパレスチナとイスラエルは4度と渡る中東戦争につながっていきました

過去は、今以上に大国とアラブ諸国の国力の差が大きくあり、大国の思惑で世界の争いの引き金が作られていきます

この先、ゲリラ戦闘を続けるハマスが壊滅することはあまりないとも・・

多くの民間人が殺されたことを、パレスチナの人は忘れることはないですね

憎悪の炎は消えるどころか、さらに強くなっていくのでは

ロシアのプーチン大統領は、かの地の戦争を見ながら、ほくそ笑んでいるのでは

世界の関心がウクライナから少なくなれば、物量で勝るロシアが持久戦で優位になるので、戦争終結はますます遠のくことに

人間は60~70年経つと、その時代を生きた人が少なくなり、同じ過ちを繰り返してしまうともいわれますが、世界中で自国優先の風向きが強くなってきています

文明は、昭和の時代のSFの世界と思われたことが、実際に実現していますが、人間そのものはどれだけ進化したのか、疑問符がつきますね  


Posted by 尾上 正 at 06:22Comments(0)

2023年11月01日

WBC栗山元監督の“聞く姿勢”は

先週、大谷修平選手の1年の活躍の振り返りのテレビが放映されていました

解説では、栗山WBC元監督と王貞治さんが、大谷選手のバッティングの技術の解説を話されていました

栗山さんは言うまでもなく、日本にWBC優勝を導いた名監督

その栗山さんでも、世界のホームラン王の王さんとの対面は、特別なものがあったと思います

栗山さんの、その時の話を聞く姿勢

栗山さんと王さんは、お互い椅子に座っておられたのですが、

栗山さんは椅子に浅く座り、前のめりで話を聞く姿勢に・・

王さんが言われることに対して、大きく上半身を上下させて、何度もうなずかれています

王さんの、大谷選手の動きの解説に対しては、時には、椅子の背に体を預け、上を見上げ目をつむり、うなずいて「あーなるほど・・」 



人は、自分の話をよく聞いてくれる人・共感してくれる人に好意を示します

自分の話を聞いてみらえる人の話を、聞いてみようとする姿勢にもなります  

聞き上手 = 引き出し上手 = 人間力(人間としての魅力)

①目で聞く  ②うなずく(会話の促進剤)  ③相槌(調子を合わせる)  ④表情を豊かに  ニコニコ

相槌だけにならずにプラスアルファの言葉を入れると、関心を示し話に参加していることをアピールできます

いろいろ話さなくちゃと構えると力みが入りますが、聞く姿勢であれば肩の力を抜くこともできますね

  


Posted by 尾上 正 at 06:04Comments(0)