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2024年01月10日

親の愛は海よりも深く・・

「精選女性随筆集、向田邦子」から

小学校四年生の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。

Iは足だけでなく片目も不自由でした。背も飛び抜けて低く、勉強もビリでした。

ゆとりのない暮らし向きとみえて、衿があかでピカピカ光った、お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。

性格もひねくれていて、かわいそうだと思いながら、担任の先生も私たちも、ついIを疎んじていたところがありました。

たしか秋の遠足だったと思います。

リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばにIの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。

かっぽう着の下から大きな風呂敷包みを出すと、「これ、みんなで」て小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。ポカポカとあたたかい持ち重りのする風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げてIの母親の姿にいやとは言えませんでした。

歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。

Iの母親は、校門のところで見送る父兄から、一人離れて見送っていました。

私は愛という字を見ると、なぜかこの時の風呂敷とポカポカのあたたかいゆでたまごのぬくみと、いつまでも見送っていた母親の姿を思いだしてしまうのです。

Iにはもうひとつ思い出があります。運動会の時でした。

Iは徒競走に出てもいつもとびきりのビリでした。その時も、もうほかの子供たちがゴールに入っているのに、一人だけ残って走っていました。

走るというより、片足を引きずってよろけているといったほうが適切かもしれません。Iが走るのをやめようとした時、女の先生が飛び出しました。。

名前は忘れてしまいましたが、かなり年配の先生でした。小言の多い気難しい先生で、担任でもないのに掃除の仕方が悪いと文句を言ったりするので、学校で一番人気のない先生でした。

その先生がIと一緒に走り出したのです。先生はゆっくりと走って一緒にゴールに入り、Iを抱きかかえるようにして校長先生のいる天幕に進みました。

ゴールに入った生徒は、ここで校長先生から鉛筆を一本もらうのです。校長先生は立ち上がると、体をかがめてIに鉛筆を手渡ししました。

愛と言う字の連想には、この光景も浮かんできます。

今から四十年も前のことです。

テレビも週刊誌もなく、子供は「愛」という抽象的な単語には無縁の時代でした。

私にとっては愛とはぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。

「神は細部に宿りたもう」という言葉があると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。


昭和四年生まれています向田邦子さんは、東京大空襲で、眉毛が焼け焦げながら、命からがら助かったという戦争体験も持っておられます。

当時は、日本全体が想像もつかないような苦しい状態

著者の中で、我が子の体が不自由で、遠足でも遅れているしまうだろう・・

それでも受け入れてもらいたい・・

そのために、朝から何十個の卵をゆでたまごにして学校にもっとこられた

今は大人になった人も小さい時もあり、親からの「愛」を受けて命を育ててきたのだとも思います




Posted by 尾上 正 at 06:13│Comments(0)
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