2013年06月26日
「幸せになる」接客
メールマガジンから
精神的にも肉体的にも疲れがたまり整体治療院で治療をしてもらっていた時に貧血で気分が悪くなり休んでから外に出て、目の前に沖縄料理の店
沖縄料理・・ 元気になりそう
ランチのゴーヤチャンプルーセットを頼んでから、テーブルに
「旬! 岩手産 生カキ 650円」 のPOP
元気になりそうだけど・・・・ どうしようかな・・・
ランチを持ってきてくれた彼に「このカキ、おいしいんですか?」
その青年は、彼女の顔を見て笑顔で「幸せになりますよ~」
「幸せ」くださーい
つい先日、コンビニで缶コーヒーを買ったときに「店内でいれたコーヒー、100円になっております
いかがですか」
今、コーヒー買ったばかりなんですけど・・・
感動 感じて動く
感じるには自分のアンテナがどこに向いているか
ある方は、コンビニなどで駐車するときに、入り口正面の1台分が空いていた時でも、わざわざ離れたところに車を止められます
私なら、急いで車を止めちゃいます
その方いわく、私が駐車して出るまでの間に、ひょっとしたら体の不自由な方が車を止められるかもしれない
もちろん、そんなことは短い間にほとんどないかもしれないが、ゼロではない
その時のために、私はスペースの数が少ない時には、止めないようにしています
FOR YOUの心 行動があってこそ・・ですね
精神的にも肉体的にも疲れがたまり整体治療院で治療をしてもらっていた時に貧血で気分が悪くなり休んでから外に出て、目の前に沖縄料理の店
沖縄料理・・ 元気になりそう
ランチのゴーヤチャンプルーセットを頼んでから、テーブルに
「旬! 岩手産 生カキ 650円」 のPOP
元気になりそうだけど・・・・ どうしようかな・・・
ランチを持ってきてくれた彼に「このカキ、おいしいんですか?」
その青年は、彼女の顔を見て笑顔で「幸せになりますよ~」
「幸せ」くださーい
つい先日、コンビニで缶コーヒーを買ったときに「店内でいれたコーヒー、100円になっております
いかがですか」
今、コーヒー買ったばかりなんですけど・・・
感動 感じて動く
感じるには自分のアンテナがどこに向いているか
ある方は、コンビニなどで駐車するときに、入り口正面の1台分が空いていた時でも、わざわざ離れたところに車を止められます
私なら、急いで車を止めちゃいます
その方いわく、私が駐車して出るまでの間に、ひょっとしたら体の不自由な方が車を止められるかもしれない
もちろん、そんなことは短い間にほとんどないかもしれないが、ゼロではない
その時のために、私はスペースの数が少ない時には、止めないようにしています
FOR YOUの心 行動があってこそ・・ですね
Posted by 尾上 正 at
09:29
│Comments(0)
2013年06月19日
人は死んで、人の心に永遠に生きる
ブログ記事からそのまま掲載
サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。
2本目は小学校の入学式に。 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。
そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。でもママはね、テレビの中に引っ越したの。
だから、こうやってしか会えない。パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。
だったら、ママ、また会いに来ます」
サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。
ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」
そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。
新しいママが来た日のサキちゃんに
そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
…… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 ……
サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
(泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
あなたの成長を見つめていたい…。
じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
それは、『ママを忘れる魔法』です。
ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。
しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。 パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。
私がもうすぐ訪問させていただく加古川のお客様
今から数年前に・・
おばあさんが「薬屋さん、この子のお母さん、3か月前になくなっちゃたのよ」
「えっ・・」 思わず3才、4才くらいの姉妹を見ると、
大きな目でニコニコしながら私を見上げています。
こんなかわいい子をおいて、どんなに心残りだったろうに
今その子たちは、日曜日などにおばあさんと一緒に大正琴で老人ホームなどの施設で演奏して、とっても喜ばれています。
きっとお母さんも一緒に聞かれているのでしょう
サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。
2本目は小学校の入学式に。 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。
そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。でもママはね、テレビの中に引っ越したの。
だから、こうやってしか会えない。パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。
だったら、ママ、また会いに来ます」
サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。
ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」
そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。
新しいママが来た日のサキちゃんに
そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
…… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 ……
サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
(泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
あなたの成長を見つめていたい…。
じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
それは、『ママを忘れる魔法』です。
ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。
しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。 パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。
私がもうすぐ訪問させていただく加古川のお客様
今から数年前に・・
おばあさんが「薬屋さん、この子のお母さん、3か月前になくなっちゃたのよ」
「えっ・・」 思わず3才、4才くらいの姉妹を見ると、
大きな目でニコニコしながら私を見上げています。
こんなかわいい子をおいて、どんなに心残りだったろうに
今その子たちは、日曜日などにおばあさんと一緒に大正琴で老人ホームなどの施設で演奏して、とっても喜ばれています。
きっとお母さんも一緒に聞かれているのでしょう
Posted by 尾上 正 at
08:56
│Comments(0)
2013年06月12日
人との出会いの“奇跡”
『0.00000000000000006%』
この数字 何の確率?
先日、目にした数字を見て、うーーん
というより、ちょっと想像がつかない・・
これは、日本に住んでいる人同士で誰かと誰かが出会う確率です
以前営業研修で、平均の日本人で生まれてから死ぬまで、
名前と顔がわかって、人間関係がある・コミュニケーションのとれている人は、2,000人くらいだと
そんなものかな・・ と思ってしまいますが
本当はとんでもない奇跡のような出会いなんですね
今、自分の目の前に座って話を聞いていただいていることに感謝
出会いを大切に
奇跡を大切に
営業・販売・人と関わる人には特に、とってもおすすめの良書です
この数字 何の確率?
先日、目にした数字を見て、うーーん
というより、ちょっと想像がつかない・・
これは、日本に住んでいる人同士で誰かと誰かが出会う確率です
以前営業研修で、平均の日本人で生まれてから死ぬまで、
名前と顔がわかって、人間関係がある・コミュニケーションのとれている人は、2,000人くらいだと
そんなものかな・・ と思ってしまいますが
本当はとんでもない奇跡のような出会いなんですね
今、自分の目の前に座って話を聞いていただいていることに感謝
出会いを大切に
奇跡を大切に
営業・販売・人と関わる人には特に、とってもおすすめの良書です
Posted by 尾上 正 at
09:16
│Comments(0)
2013年06月05日
この世で一番美しい手
ブログ記事からそのまま掲載
私は二人の子の母親です。
最初の子供を産んだ時は、もしかしたらという思いで手足の指がちゃんとついているのかどうかまず確認しましたが、二人目の子供の時には当然、何ら問題はないと信じて妊娠しました。
しかし生まれてきた女の子は右手の指2つが無く、他の指は短いという障害をもって生まれてきました。
母乳をあげながら産着の間からのぞいている我が子の手を見ては、とめどなく涙が流れてきました。
一日中そのことばかり考えていました。
このまま一緒に死んでしまおうか?
子供を育てていく自信がありませんでした。
しかし、澄んだ目で私を見つめている我が子を見ていると
そんな思いをした私自身が本当に恥ずかしく思えました。
娘を連れて、あの病院、この病院と行って見ましたが、変わりがありませんでした。
しっかりと育てなくては、そう決意しながらも、意気地の無い母は、いつも子供の手を隠すのに必死でした。
子供を連れて外出をする時には、一層子供の手に神経を使いました。
ともすれば、他の人たちが障害児だと色々言ってくるのではないかと、本当に怯えてなりませんでした。
暑くなり、仕方なく袖丈の短い服を着せ、今までひた隠しにしていた右手が見えるようになりました。
やはり、人々の視線はひとり残らず娘の右手に向かいました。
後ろで指差す人、もしかして妊娠中に鴨肉を沢山食べられたのではと聞いてくる人、あんな子供をどうやって育てるんだと舌打ちする人もいました。
障害者に対する社会の視線が、本当に寛容でないことを骨身にしみて実感しました。
そのため、子供の手を子守帯の中に隠しておぶったり、娘の手を握り締めて隠したり、ビクビクしていました。
そんなある日、主人のお母さんが孫娘を背負いながら、障害のある右手を子守帯の中に隠されるのを偶然に見かけました。
涙があふれ出ました。
私の勇気の無さを、お母さんを通して実感したのです。
勇気の無い母親のために、苦労をするであろう娘に心底申し訳ないという思いで一杯でした。
その後、娘の手に必要以上に神経を使わないようにしました。
それまでの行動を反省しながら、同じような障害を抱えている母親の集まりに参加をしてみたりして、子供の立場から考えるようにしました。
今後は、障害を隠すというよりは、どうやって克服するのかに最善を尽くして手伝うようにしようと決めました。
私達家族は娘の右手を‘この世で一番美しい手’と呼びます。
まだ4歳の娘は、他の子供達が‘変な手、どうして?’と訊ねると、
手を自ら見せて堂々と‘一番美しい手’と言うそうです。
私の鼻の横に、キズがあります
私は普段まったく忘れているのですが、周りの人はその“理由”についてやっばり聞きにくいようですね
まだ5才くらいの頃、家の横の製材所で遊んでいて転び、体が前に倒れながら材木の上に釘が見えて“釘だ”と思ったところで記憶が消えています
顔中血だらけになりながら、隣の家の奥さんに抱えてもらって市民病院に連れて行ってもらったと聞きました
もう3センチ上だったら失明していたかも・・
助けていただいて本当にありがとう
私は二人の子の母親です。
最初の子供を産んだ時は、もしかしたらという思いで手足の指がちゃんとついているのかどうかまず確認しましたが、二人目の子供の時には当然、何ら問題はないと信じて妊娠しました。
しかし生まれてきた女の子は右手の指2つが無く、他の指は短いという障害をもって生まれてきました。
母乳をあげながら産着の間からのぞいている我が子の手を見ては、とめどなく涙が流れてきました。
一日中そのことばかり考えていました。
このまま一緒に死んでしまおうか?
子供を育てていく自信がありませんでした。
しかし、澄んだ目で私を見つめている我が子を見ていると
そんな思いをした私自身が本当に恥ずかしく思えました。
娘を連れて、あの病院、この病院と行って見ましたが、変わりがありませんでした。
しっかりと育てなくては、そう決意しながらも、意気地の無い母は、いつも子供の手を隠すのに必死でした。
子供を連れて外出をする時には、一層子供の手に神経を使いました。
ともすれば、他の人たちが障害児だと色々言ってくるのではないかと、本当に怯えてなりませんでした。
暑くなり、仕方なく袖丈の短い服を着せ、今までひた隠しにしていた右手が見えるようになりました。
やはり、人々の視線はひとり残らず娘の右手に向かいました。
後ろで指差す人、もしかして妊娠中に鴨肉を沢山食べられたのではと聞いてくる人、あんな子供をどうやって育てるんだと舌打ちする人もいました。
障害者に対する社会の視線が、本当に寛容でないことを骨身にしみて実感しました。
そのため、子供の手を子守帯の中に隠しておぶったり、娘の手を握り締めて隠したり、ビクビクしていました。
そんなある日、主人のお母さんが孫娘を背負いながら、障害のある右手を子守帯の中に隠されるのを偶然に見かけました。
涙があふれ出ました。
私の勇気の無さを、お母さんを通して実感したのです。
勇気の無い母親のために、苦労をするであろう娘に心底申し訳ないという思いで一杯でした。
その後、娘の手に必要以上に神経を使わないようにしました。
それまでの行動を反省しながら、同じような障害を抱えている母親の集まりに参加をしてみたりして、子供の立場から考えるようにしました。
今後は、障害を隠すというよりは、どうやって克服するのかに最善を尽くして手伝うようにしようと決めました。
私達家族は娘の右手を‘この世で一番美しい手’と呼びます。
まだ4歳の娘は、他の子供達が‘変な手、どうして?’と訊ねると、
手を自ら見せて堂々と‘一番美しい手’と言うそうです。
私の鼻の横に、キズがあります
私は普段まったく忘れているのですが、周りの人はその“理由”についてやっばり聞きにくいようですね
まだ5才くらいの頃、家の横の製材所で遊んでいて転び、体が前に倒れながら材木の上に釘が見えて“釘だ”と思ったところで記憶が消えています
顔中血だらけになりながら、隣の家の奥さんに抱えてもらって市民病院に連れて行ってもらったと聞きました
もう3センチ上だったら失明していたかも・・
助けていただいて本当にありがとう
Posted by 尾上 正 at
08:44
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