2018年03月14日
沖縄県人20万人の命を救った島守の神といわれる人
月刊 致知 3月号から 抜粋
「島守の神」として沖縄の人々から敬慕される戦前最後の沖縄県知事
島田 叡(あきら)
島田は沖縄戦直前の昭和二十年一月に四十三歳で沖縄に赴任し、文官にもかかわらず、県民と運命を共にして自決した立派な人です。
ただ沖縄では有名でも、本土ではあまり知られていません。
その島田が沖縄県知事になったきっかけが本当に立派なんです。
これから沖縄は戦場になるということで、現職の知事が職務を放棄したため、急遠後任を決めることになりました。
ところが「死にたくない」と皆断るんです。
それで最後に、当時大阪府の内政部長をしていた島田にお鉢が回ってくるわけですが、彼は「私が行かないなら、誰かが行かなければならない。
自分は死にたくないから、他の誰かが行って死ねとは言えない」と、即座に知事を引き受ける決断をするんです。
沖縄県知事として赴任した島田は、日覚ましい働きをします。
その一つが県民の疎開です。
犠牲を少なくするため、島田は沖縄本上にいた約四十九万人のうち、二十二万人の人々を僅か二ヶ月で疎開させるんです。
結果的には、約十万人の県民が亡くなりましたが、もし島田の努力がなければ犠牲者は二倍にも三倍にもなっただろうといわれています。
そうしていよいよアメリカ軍との戦闘が始まると、本土から来ていた民間人の避難も始まりました。
その時、親しかった新聞社の支局長が訪ねてきて「知事さんは軍人ではないのだから、沖縄県民と最期を共にしなくてもよいのではないか」と言います。
しかし島田は次のように答えます。
「知事として私は生きて帰れると思うかね。県民がどれだけ死んだか知っているだろう。私ほど県民の力になれなかった知事はいない」
そしてその言葉のとおり、島田は沖縄に残り、自決して県民と最期を共にしたと。
沖縄の人たちは、いまもなお新しい顕彰碑を建て、島田を尊敬し続けています。
高校野球県大会で優勝した学校に贈られるトロフィ―が「島田杯」です。
沖縄戦で、民間人10万人以上が犠牲になり、当時の沖縄の4人に1人が亡くなったことは知っていました
それだけでも大変な悲劇ですが、一人の政治家の命がけの働きで、多くの命が救われていたのですね
今の政治家の方々の目線は、どこを向いているのかと思ってしまうのは私だけでしょうか
大きな力を持っている人は、それにふさわしい勇気と優しさを兼ね備えていただきたいと思います
Posted by 尾上 正 at 07:20│Comments(0)