2022年12月07日
「神を祈る」とは
出雲大社与謝分詞 後藤 泰弘著
身近にあふれる「神社と神様」が3時間でわかる本から
恐らく大抵の方は、あらかじめ自分が期待し理想とする結果が叶うようにと祈りを捧げられると思います。
すなわち「神に祈る」ということです。
例えば、希望する学校や会社などに受験合格しますようにとか、宝くじが当たりますようにとか、病気平癒や交通安全などの願いが叶いますように、などです。
しかし、ちょっとまってください。本当の祈り方は違うのです。
神様への「本当の祈り方」、それは「神を祈る」という祈り方です。
とても不思議で聞き慣れない言葉だと思います。一般的な「神に祈る」祈り方が間違いとは言いませんが、あまりよい祈り方ではありません。
それにはハッキリとした理由があります。
神社などで神様に祈りを捧げ、そのあと自分が理想とする結果になれば結構なのですが、そうではなかったときに問題が発生するからです。
「せっかく神社に行ってお賽銭を入れて神様にお祈りしたのに!」と結果を不満に思う方もいますし、自分の行いを棚に上げ神様が悪いと違いされる方もいます。
では、「神を祈る」という祈り方はどのようなものなのでしよう。
自分自身祈りを捧げる際に、理想とするよい結果を思い浮かべ、それが叶いますようにと祈りを捧げるところまでは同じです。
しかし、 ここから続きがあります。
「どのような結果になろうとも一番幸せになれる道をお示しください」と祈るのです。
すなわち、心に理想の結果は思い描きながいも、出た結果を神の意志として素直にそのまま受け入れるということです。
「神に祈る」という祈り方から、「神を祈る」という本来の祈り方へ変えなければ、神様へは届きません。
「純粋な気持ちで祈った結果を神様からの答えとしていただいた」と、受け入れられる人になることが大切だ、ということです。
日本人の中には、自分は無神論者だと言われる方も・・
そういった方でも、家には仏壇があったり、神棚があったり、正月には初詣に行かれたりするのでは・・

日本人のDNAには、遺伝子的に神道というものが組み込まれているのだとも思います
神道には仏教の教本や、キリスト教の聖書のようなものはなく、自然そのものが教えになっています
四季のある日本では、自然の恵みの中で生きているという意識が、長い時を経て染み込んでいる
よく言われることですが、神社はお願いをするところではなく、感謝を述べに行くところだと
〇〇が欲しいと願うと、〇〇が欲しいとの今と同じ未来が授けられる
出雲大社の大国主神の像は、両手を大きく広げていますが、すべてを受け入れますとの現れとも見えます
今年もあと20日あまりですが、色々あったにせよ、これでよかったと言える1年でありたいですね
Posted by 尾上 正 at 06:31│Comments(0)