2020年06月24日
日本人の消費エネルギーは、アフリカ745年分に!!
鬼丸 雅也氏 「平和をつくる」から
世界で、もっとも資源やエネルギーを使っているのは、誰でしょうか。
こんなデータがあります。
1960年には、世界で最も豊かな人々20パーセントと、最も貧しい人たち20パーセントの経済格差は、30対1でした。
けれども、1990年には60対1、2002年には114対1にまで拡大してきました。
そして2017年には、世界人口の1パーセントの富裕層が、世界の資産のほぼ48パーセントを握っていると言われるよぅになりました。
世界のたった20パーセントしかいない最も豊かな人たちが、世界の資源・エネルギーのなんと80パーセントを消費しているのです。
象徴的なのが多国籍企業の急成長(膨張)です。
現在、多国籍企業の売上上位5社で、最も貧しい国49カ国のGDP(国内総生産)の合計1560億ドルよりも大きいのです。
もっとわかりやすい例でいうと、2002年に日本人1人が消費していたエネルギー量は、アフリカの最貧国1人当たりの消費量の745年分にも上るのです。
まるで、かつてのヨーロッパの王侯貴族・資本家たちが、便利で快適な生活を送るために、アフリカ大陸から、資源や、奴隷としてたくさんの人々から奪っていたのと、あまり変わりがないように思えます。
これらのデータを見るだけでも、僕らは、1人ひとりの生活水準はどうであれ、日本全体でみると、いまだに、世界全体の中で、格差社会のトップに立っていることがわかります。
格差社会のトップに立っている日本を含めた先進国が、「もっと便利で」、「もっと快適な」生活を求めて、たくさんの資源やエネルギーを使い、大量の商品やサービスを創り出し、そして、使わなくなったらすぐに捨ててしよう。
そんな大量生産、大量消費、大量廃棄の経済を、維持、どころか発展させようとしています。
ここで、 一度、立ち止まって、「何が本当の幸せな生活なんだろう」と、もう一度、らの生活を振り返る時期なのかもしれません。
無限に経済成長できると信じている、
僕らの生活の在り方や、その考え方を見直すことで、資源やエネルギーの必要以上の消費を抑えることができるはずです。
まずは、自分たちの生活が、世界全体で見て、どのクラスのものなのかを把握することから、平和をつくる仕事は始まるのです。
1987年に、ヨーロッパの歌手を中心とにバンド・エイドの活動で、クリスマス・エイドというアルバムが出されました
当時、アフリカで干ばつでの飢餓が深刻になり、支援の輪が広がっていきます
そういった活動が、その後のアメリカへ「We Are the World」と受け継がれていきます
当時の日本はバブル入口
日本での捨てられる食材の量で、アフリカの餓死者のすべての人を救えるといわれていました
「もったいない」の文化を持つ国で・・
今、世界中で人々の格差が広がりつつあります
そういった鬱積した思いのぶつかり合いが、各地の紛争の土台としてあるのかもしれません
本当の幸せって・・ 立ち止まって考えてみることも大切だとも思います
Posted by 尾上 正 at
06:43
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2020年06月17日
「話す」は技術、「聞く」は器
鬼丸 昌也著 「僕が学んだゼロから始める世界の変え方」から
人と話すとき、僕は高校時代から「耳で聞くこと」を心がけてきた。
「そんなの、当たり前でしょ」と言われそうだが、意外に耳で聞くことができていない人が多いのではないだろうか。
では、どこで聞いているかというと、みんな「頭」で聞いているのだ。
たとえば、相手が話しているとする。そのとき、たいていの人は頭の半分では話を聞いているが、あとの半分では自分が次に話すことや関係のないことを考えている。
そういう僕自身も最近耳で聞くことができていないので、ここで初心に戻りたいと思っている。
「耳で聞く」とは、耳そのものに自分の意識を向けて聞くということだ。
意識を両耳にもってきて話を聞くと「聞くこと」に集中でき、何も考えずに相手の言葉を聞くことができる。だから、素直に受け止められる.
不思議なものでそうやって真剣に話を聞くと、たいてい相手は一度で安心する。
話し方教室はありますが、「聞き方」教室は聞いたことがありません
「話す」は技術で、「聞く」は器とも言われます
聞き上手 聞く、聴く、訊く
耳で聞いて、心で聞いて、的確な質問をいれて話を引き出していく
耳そのものに自分の意識を向けて聞く・・とは、たとえば、自分の手をひらいて耳の横に広げて聞くと、耳に意識が集中されます
相手の方の目の前で、両手を広げて聞くことはできないでしょうが、意識はそういう聞き方でしょうか
ありがちなことですが、「答えを持って聞く」こともよくあります
相手の話を聞きながら、「それはこうだよ」といいたくてうずうずしながら聞いている
目の前の人の話は上の空で、自分の頭の中の考えに意識が向いてしまって・・・
まず、耳に意識を向けて(相手の方に意識をきちんと向けて)、話を聞きたいですね
Posted by 尾上 正 at
06:45
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2020年06月10日
赤ちゃんは生まれるときに、なぜ手を握っているのか
鬼丸 昌也氏 「僕が学んだゼロから始める世界の変え方」から
仏教に「願生思想」という考え方がある。
この世界に生まれてくる前に、人にはそれぞれに誓ってきたことがあるという考え方だ。
僕は、これは真実ではないかと思っている。
ある絵本作家がこんなことを書いていた。
赤ん坊は両手をギュッと握って生まれてくる。
それは、その手の中に自分が誓ってきたことを握りしめてきたからだ。
生まれ落ちた後、パッと両手を開くのは家族や社会に対して夢を表明している瞬間なのだと。
では、僕たちが生まれる前に誓った願いとは何なのだろう。
もちろん、それは一人ひとりみんな、違うだろう。
しかし、共通する願いがひとつある。
それは、幸せに生きること。自分自身を輝かせながら生きること。
しかし人は、自分だけが幸せになったからといって心からの幸福感を得られない。
他者やほかの命にも幸せに生きていなければ、本当には幸せになれないのだと思う。
幸せになろうと決めること。自分が願ってきたことに素直になること。
それは、自分に忠義を尽くすということだ。
「自分に忠義を尽くせ」
この言葉を、僕は尊敬する先輩から教えられた。
これは決して、わがままに生きるということではない。
自分が生まれるときに誓ってきた願いに忠実に生きることだ。
それは、世界全体の幸せに貢献することを意味するのだと思う。
個人が世界全体の幸せに貢献するなんて、むずかしいと思うかもしれない。
けれども、これまで繰り返し書いてきたように、小さな一歩でいい。今すぐできることでいい。
大切な家族や友だちに、大好きな人に、人生について教えてくれる先輩や偉業を残してくれた先人たちに、心を込めて「ありがとう」と伝える。
たったそれだけでも、一歩を踏み出している。僕はそう思う。
今身近で共に生きている人たちも、まだ会ったことのない遠い国の人たちも、今この地球で同じ時代を共に生きている仲間だ。
そんな仲間のために、小さな一歩を踏み出すことが自分自身の幸福につながる。
鬼丸氏は、学生時代にカンボジアの少年兵の現実や、過去に埋められた無数の地雷のために今なお多くの犠牲者が出ている現実を知り、NPOを立ち上げ、活動を続けておられます
鬼丸氏にとっての願いとは、世界が平和になり、自分たちのような活動が必要がなくなる世の中になっていくのが願いなのでしょう
人がいざ本番という時には、ぐっと拳を握り力を込めます
それは、体に力を入れるためだけではなく、自分の心にも力を入れるためなのでしょうね
Posted by 尾上 正 at
06:48
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2020年06月03日
お手伝いさせてもらってもいいですか
メールマガジンから引用
「お手伝いしましょうか?」
子連れのママさんに声を掛けるのは、ちょっと苦手です。
なぜ苦手なんだろう。自分でもわかりません。
ひょっとすると「おせっかい」だと受け取られるのが嫌だからかもしれません。
いや、それだけではないかも。ママさんとはいえ、若い女性に声を掛けるのに、照れているのも。
それとも、イイカッコシイと、周りの人たちに思われるのが恥ずかしいのかもしれません。
番組の中では、あるママさんの声を紹介していました。飛行機に乗った時、子供が泣き止まず困ってしまった。周りの座席の人達が、嫌な思いをしているんじゃないかと、気になって仕方がない。
その時、CAさんに、こう言われたというのです。
「元気な赤ちゃんですね。飛行機のなかで泣くのは、赤ちゃんの本能なのですよ。
泣くことで、気圧で耳がポーンとするのを防いでいるのです。泣くのはいいことです」と。
それは、必要以上に大きな声だったといいます。
つまり、周りの座席のお客様にも聞こえるようにと言う配慮だとわかったというのです。
ホント、乗り物で子供が泣き止まないと、ママさんは困るんですよね。
続けて、ある視聴者の声を紹介していました。
「ベビーカーを抱えて、階段を上るのはたいへんです。
ある時、こう声をかけられました。
『お手伝いさせてもらってもいいですか?』と。
『お手伝いしましょうか?』ではなく『させてもらう』なんです。
素直に『お願いします』と頼みやすく、気持ちがよかったです」
なるほど、なるぼど。その言い方があったか!
「したやる」んではなく、「させてもらう」
謙虚でいいなあ。
それなら、子連れのママさんにも声掛けしやすいです。
お手伝いしたくても、もし断られたら・・ おせっかいだと思われたら・・
つい声をかけづらいこともあります
お手伝いさせてもらってもいいですか?
相手への配慮を感じる素敵な言い回しですね
コロナウイルスへの対応を含め、人は強い付加や脅威を感じると、行動の“両極端”が強く出るといわれています
自分への(自分たちへの)痛みに対して、「怒り」を外に表す人たちと、互いに協力し支えあおうとする人たち
自分はどちらの道を“選ぶ”のか
自分の行動は与えられた1本道ではなく、常に“選ぶ”ことができますね
Posted by 尾上 正 at
06:45
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