2022年12月28日
犬は喜ぶと尻尾を右に振る・・・?
日経新聞記事から
犬は心を開いた人には、しっぱを右方向に片寄らせて振るとの研究結果を、中国科学院の研究チームが今夏発表した。
「ディープラーニング(深層学習)」系の人工知能(AP)を用いて、ビーグル犬約10匹のしっぱの揺れ方を調査。
振れ幅やスピードなど計2万1千回の動きを分析すると、同一人物でも対面初日に左寄りに振っていたしっぱが、3日目には右側に寄ったことが分かったという。
犬の脳も人と同様に左右で役割が異なると考えられている。
なじみのある人には前向きな感情を担う左脳が活性化し、しっぱを右向きに揺らして楽しさを表現。
一方、見慣れない人に対しては緊張や恐怖を感じ、右脳の影響で左に寄ると推論した。
こうした犬の研究は、医学や心理学の分野でも生かせると語る。
子供のころから大人になるまで実家にはかわいいワンちゃんがいたのですが、尻尾がどんなときに右に振るか、左に振るかなんて考えたこともなかったですね
心の動きが、体の動きに影響を与えるということなんだとも思います
人の脳は右脳が感情を支配して、左脳は理論的に働いていると
女性は右脳と左脳の間の脳幹が太いので、バランスが取れています
(個人差はありますが)
男性は左脳に傾きがちで、感情よりも理詰めで物事を判断しまいがちに・・・
脳と体は、首のところで交差しているので、極端な例では、左の脳の部分が詰まってしまうと、右半身に影響が出てしまいます
芸術家に左利きの人が多いのは、右脳が活性化されているのも影響しているとも
人が何気なくしている行動を詳しくみれば、そのひとの気持が現れていることもあるのでしょう
キンキキッズの、「ガラスの少年」の歌詞の中で、「うそをつくときにまばたきする癖が・・」
犬好きの人は、犬の表情から犬の気持ちを理解する方も多くいらっしゃいますが、同じように人の微妙な動きから、その人の思いを心理学のように理解することもできるのかもしれませんね
2022年 干支は寅年 今年の初めに、寅年は例年世界が大きく荒れるとの予想を見ましたが、そんなことはないでしょ・・・ と思いましたが、世界でも国内でも、大変な1年になりました
うさぎ年は、飛躍になる年だと
来年の終わりには、本当に飛躍の年になったと言えるように
取りとめもない内容のブログになってしまったことも多いのですが、1度でも命の時間を使って見て頂いた方に、心から来年は飛躍の1年になりますように
Posted by 尾上 正 at
06:13
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2022年12月21日
ぼくの命は言葉とともにある
福島 智著 「ぼくの命は言葉とともにある」から
福島さんは9才で失明し、18才で聴覚が失われる中で、盲ろう者として初めて大学進学されます
(2008年より東京大学教授になっておられます)
満足感の反面、不安や葛藤が心の中で渦巻いていきます
そんな時にクラスメイトの女子学生から手渡された吉野弘の詩「生命(いのち)は」から、周囲の学生と溶け込めるようになっていったと
「生命は」
生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で、虫や風が訪れて、めしベとおしべを仲立ちする
生命はその中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ
・・・・・・・
このフレーズに出会ったときに受けた衝撃を、私は今も忘れられません。
これはいのちのありよう、いのちといのちの関係性の本質を示した言葉であり、いのちの定義です。
そして、例えば、障害をいのちが内包する広い意味での欠如の一形態として捉えるとき、この定義は、障害者を取り巻く問題が障害者だけの問題ではなく、障害の有無を超えて、すべての人間、すべてのいのちのありようと深くかかわってくることを示している、と私は感じたのです
聖書には、神は自分に似せた姿で人を作られたと
ただ、神様は、人を作るときに「欠けたもの」を入れて作られたのかも
男と女の区別がなくて一つだったら、どんなに味気ない世の中に
足りないところがあるから、人の力を借りようとする
自分には出来ることがあるから、人のお手伝いができる
欠けたところがあるから、助け合い支えあうことで社会が作られているのでは
自分やその人にしかない“光”で、世の中を照らしていければと思いますね
福島さんは9才で失明し、18才で聴覚が失われる中で、盲ろう者として初めて大学進学されます
(2008年より東京大学教授になっておられます)
満足感の反面、不安や葛藤が心の中で渦巻いていきます
そんな時にクラスメイトの女子学生から手渡された吉野弘の詩「生命(いのち)は」から、周囲の学生と溶け込めるようになっていったと
「生命は」
生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で、虫や風が訪れて、めしベとおしべを仲立ちする
生命はその中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ
・・・・・・・
このフレーズに出会ったときに受けた衝撃を、私は今も忘れられません。
これはいのちのありよう、いのちといのちの関係性の本質を示した言葉であり、いのちの定義です。
そして、例えば、障害をいのちが内包する広い意味での欠如の一形態として捉えるとき、この定義は、障害者を取り巻く問題が障害者だけの問題ではなく、障害の有無を超えて、すべての人間、すべてのいのちのありようと深くかかわってくることを示している、と私は感じたのです
聖書には、神は自分に似せた姿で人を作られたと
ただ、神様は、人を作るときに「欠けたもの」を入れて作られたのかも
男と女の区別がなくて一つだったら、どんなに味気ない世の中に
足りないところがあるから、人の力を借りようとする
自分には出来ることがあるから、人のお手伝いができる
欠けたところがあるから、助け合い支えあうことで社会が作られているのでは
自分やその人にしかない“光”で、世の中を照らしていければと思いますね
Posted by 尾上 正 at
07:10
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2022年12月14日
日本人は年間に、微小プラスチックを、どれだけ体に入れているのか
日本経済新聞 4月6日記事から
プラスチックごみなどが壊れてできる5㎜以下の微小なプラスチックが世界各地の魚介類に含まれていたとの調査結果を、英ハル大などのチームが4日までにまとめた。
人は食事を通じて1人あたり年間5万個を超える微小ブラを摂取している恐れがある。
チームは、シーフードを好んで食べる日本の摂取量は最大13万個に及ぶと推定。
含まれる微小ブラの量が最も多かったシーフードは中国で売られていた二枚貝で、アジア諸国の貝類は多い傾向があった。
貝が微小ブラ汚染されている現状を反映したとみられる。
濃度が最も高かった中国のサルボウガイでは1g当たり10.5個見つかった。
甲殻類では最大8.6個、魚では同2.9個だった。
日本の東京湾で捕れたカタクチイワシからも1匹当たり2.3個見つかったとしている。
国連食糧農業機関(FAO)による魚介類消費量のデータを基に、人間1人が摂取する量の世界平均は年間最大約5万4千個に上ると推定。
国や地域別ではマカオや香港、韓国、中国本土のほか、ノルウェーやスペインの摂取が多いとしている。
日本の摂取量はこれらの国と比べると少ないが、推定で最大13万個と世界平均を大きく上回った。
チームは「摂取による人体への影響は未解明だが、安全だという証拠もない」として「予防原則に基づき食品からの摂取量を減らす対策を取るべきだ」と結論づけた。
分析結果は米国立衛生研究所(NIH)の専門誌に発表した。
映画「卒業」(1967年)の中で、まだ仕事をしていないダスティン・ホフマンに、叔父にあたる人が「これからはプラスチックが有望だよ!」と話しかける場面が出てきます
その後に便利で安価なプラスチックは、ものすごいスピードで生活の中に入ってきました
同じように膨大の量が捨てられることに
子供の頃に読んだ漫画の、こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)の中で、主人公の両さんが、プラスチックは変化しないので、海の中に沈んだコップは何千年もそのままの形でいるんだ・・と言っていたのを覚えています
人間の歴史の中で、プラスチックを体に入れ続けたことはないので、影響はまだわかっていないのだと思いますが、体の構成成分ではなく、変化もしないものが入りこむことは、良いことではないと考えられます
江戸時代の日本では、ありとあらゆるものがリサイクルされて、循環社会がつくられていたと
大量消費、大量ごみの時代から、先人たちに学ぶ必要があるとも思います
Posted by 尾上 正 at
06:32
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2022年12月07日
「神を祈る」とは
出雲大社与謝分詞 後藤 泰弘著
身近にあふれる「神社と神様」が3時間でわかる本から
恐らく大抵の方は、あらかじめ自分が期待し理想とする結果が叶うようにと祈りを捧げられると思います。
すなわち「神に祈る」ということです。
例えば、希望する学校や会社などに受験合格しますようにとか、宝くじが当たりますようにとか、病気平癒や交通安全などの願いが叶いますように、などです。
しかし、ちょっとまってください。本当の祈り方は違うのです。
神様への「本当の祈り方」、それは「神を祈る」という祈り方です。
とても不思議で聞き慣れない言葉だと思います。一般的な「神に祈る」祈り方が間違いとは言いませんが、あまりよい祈り方ではありません。
それにはハッキリとした理由があります。
神社などで神様に祈りを捧げ、そのあと自分が理想とする結果になれば結構なのですが、そうではなかったときに問題が発生するからです。
「せっかく神社に行ってお賽銭を入れて神様にお祈りしたのに!」と結果を不満に思う方もいますし、自分の行いを棚に上げ神様が悪いと違いされる方もいます。
では、「神を祈る」という祈り方はどのようなものなのでしよう。
自分自身祈りを捧げる際に、理想とするよい結果を思い浮かべ、それが叶いますようにと祈りを捧げるところまでは同じです。
しかし、 ここから続きがあります。
「どのような結果になろうとも一番幸せになれる道をお示しください」と祈るのです。
すなわち、心に理想の結果は思い描きながいも、出た結果を神の意志として素直にそのまま受け入れるということです。
「神に祈る」という祈り方から、「神を祈る」という本来の祈り方へ変えなければ、神様へは届きません。
「純粋な気持ちで祈った結果を神様からの答えとしていただいた」と、受け入れられる人になることが大切だ、ということです。
日本人の中には、自分は無神論者だと言われる方も・・
そういった方でも、家には仏壇があったり、神棚があったり、正月には初詣に行かれたりするのでは・・
日本人のDNAには、遺伝子的に神道というものが組み込まれているのだとも思います
神道には仏教の教本や、キリスト教の聖書のようなものはなく、自然そのものが教えになっています
四季のある日本では、自然の恵みの中で生きているという意識が、長い時を経て染み込んでいる
よく言われることですが、神社はお願いをするところではなく、感謝を述べに行くところだと
〇〇が欲しいと願うと、〇〇が欲しいとの今と同じ未来が授けられる
出雲大社の大国主神の像は、両手を大きく広げていますが、すべてを受け入れますとの現れとも見えます
今年もあと20日あまりですが、色々あったにせよ、これでよかったと言える1年でありたいですね
Posted by 尾上 正 at
06:31
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