2021年03月31日
あなたが戦争のある村で生まれたら
鬼丸雅也・小川真吾著 「ぼくは13歳 職業、兵士」
あなたが戦争のある村で生まれたら から
あなたが戦争のある村で生まれたら から
冷戦が終結した以降、世界で起こっている紛争の約9割は内戦です。
つまり、国と国との戦争ではなく、土地の奪い合いや資源の争奪など国内で対立しているのです。
このような狭い地域での紛争では、大型の戦車やミサイルなどの重火器ではなく、むしろ自動小銃や地雷などの小型武器が使用されるのです。
紛争の犠牲者の約9割は小型武器によって殺され、1分間に1人が世界のどこかで小型武器によって命を奪われているのです。
その数は年間50万人といわれています。
また、冷戦後の約10年間に、約400万人が小型武器によって命を奪われているといわれていますが、その犠牲者の約9割が戦闘の巻き添えになった一般市民です。
さらに、そのうちの約8割が女性と子どもたちだとされています。
1990年以降、殺された子どもの数は約200万人にものぼります
国連のアナン事務総長は、「犠牲者の数からいえば、小型武器は事実上の大量破壊兵器」と発言しています。
なぜなら、世界で起こっている紛争の死傷者の90%以上が、この小型武器で死傷しているからです。
実際、核兵器や生物化学兵器、ミサイルや戦車のような重火器以上に人を殺傷しているのが小型武器なのです
武器メーカー・兵器産業は莫大な額のお金を国際的な武器貿易で動かし、先進国や大国に経済的な利益をもたらしています。
通常兵器を輸出しているアメリカ、イギリス、フランスの3カ国が武器貿易によって得ている利益は、この3カ国が発展途上国に対しておこなっているODA(政府開発援助)の額よりも多いのです。
つまり、これらの大国は貧困問題などの解決のためにお金を使っていますが、それ以上のお金を武器貿易によって、発展途上国から吸い上げているのです。
シリアの内戦は、ロシア寄りのシリア政府が倒れるのを防ぐために、ロシアからシリア政府に多くの支援が行われ、解放軍への攻撃が続けられました
ミャンマー軍にも、ロシアや中国の支援を受けての、自国民への殺戮行為が続いています
人道上の強い懸念を表し非難している西洋諸国も、東南アジアや中東などの途上国には、膨大な武器輸出をして、自国の産業を支えています
自国民のために・・・は指導者として当たり前のことだとは思いますが、そのために他を犠牲にしてよいとはならないとも思います
ジョン・レノンが歌った「世界中が平和」が夢物語に成らないように
Posted by 尾上 正 at
06:18
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2021年03月24日
「どうする家康」 ならぬ 「どうする日本」
2023年の大河ドラマは、松本潤主演で、「どうする家康」が予定されています
今後の大切な局面で、「どうする日本」 あまりにも関係がなかったでしょうか・・
今週の報道で、フィリピン沖に中国漁船が200隻以上押し寄せた映像が出ました
海上一面に一列に並んでいるその姿は、異様な光景でした
民間の船が、これほどまでに一糸乱れずに、他国に侵入することなど、自国の後押しがなければありえません
アメリカとの交渉のあとに、断固として対抗するとの強いメッセージということでしょうか
フィリピンでは、中国の基地が建設されたりして、ある意味で中国寄りなので、対抗のメッセージの場所として選ばれたのかもしれません
(フィリピン政府は猛烈に抗議はしていますが・・)
以前に、日本と中国の関係が激化して、中国漁船が大挙して日本国領域に入り込んだときには、中国政府と日本政府が意見を交わした次の日に、中国漁船が1船も見られなくなったことがありました
明らかに、政府の依頼を受けての行動といえます
漁船の乗組員の中には、軍人が多く乗り込んでいるとも・・
フィリピン沖・・ つぎに日本に来たときはどうするのか
今、尖閣諸島には中国漁船が侵入していますが、今後、大量の漁船が一気に侵入、もしくは「民間人」として上陸を試みた時に、日本はどういう対応をとるのか
法律を変更して、海洋上で自国に危害を加えるものに、「攻撃」をすると法律を変えているので、日本が排除しようとした時に、自国の「民間人」に危害を加えられたとして、強い対抗措置をとることも考えられます
香港を力で制圧していった後に、自国の「領土」としている「台湾」と「尖閣諸島」にターゲットとして定めているのは明らかです
日本は、対戦の大きな犠牲を経て、70年以上平和が続いていますが、他国では紛争が続いています
どうする「日本」
今後の大切な局面で、「どうする日本」 あまりにも関係がなかったでしょうか・・
今週の報道で、フィリピン沖に中国漁船が200隻以上押し寄せた映像が出ました
海上一面に一列に並んでいるその姿は、異様な光景でした
民間の船が、これほどまでに一糸乱れずに、他国に侵入することなど、自国の後押しがなければありえません
アメリカとの交渉のあとに、断固として対抗するとの強いメッセージということでしょうか
フィリピンでは、中国の基地が建設されたりして、ある意味で中国寄りなので、対抗のメッセージの場所として選ばれたのかもしれません
(フィリピン政府は猛烈に抗議はしていますが・・)
以前に、日本と中国の関係が激化して、中国漁船が大挙して日本国領域に入り込んだときには、中国政府と日本政府が意見を交わした次の日に、中国漁船が1船も見られなくなったことがありました
明らかに、政府の依頼を受けての行動といえます
漁船の乗組員の中には、軍人が多く乗り込んでいるとも・・
フィリピン沖・・ つぎに日本に来たときはどうするのか
今、尖閣諸島には中国漁船が侵入していますが、今後、大量の漁船が一気に侵入、もしくは「民間人」として上陸を試みた時に、日本はどういう対応をとるのか
法律を変更して、海洋上で自国に危害を加えるものに、「攻撃」をすると法律を変えているので、日本が排除しようとした時に、自国の「民間人」に危害を加えられたとして、強い対抗措置をとることも考えられます
香港を力で制圧していった後に、自国の「領土」としている「台湾」と「尖閣諸島」にターゲットとして定めているのは明らかです
日本は、対戦の大きな犠牲を経て、70年以上平和が続いていますが、他国では紛争が続いています
どうする「日本」
Posted by 尾上 正 at
06:25
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2021年03月17日
もう一歩の優しさ
もう一歩の優しさ 渡辺和子 「忘れかけていた大切なこと」から
花粉症で多くの人が悩んでいた頃のことでした。
一緒に住んでいる修道院のシスターの一人が私に、「昨夜は鼻が詰まって、夜中まで眠れなかった」と話し、私は、それに対して、「あら、シスター、お薬をちゃんとお服みになったの」と答えたことがありました。
答えて、別れた後で私は反省しました。
なぜあの時、まず「辛かったでしょう」と一言ってあげられなかったのだろうかと。
というのも、以前聞いた一人の方の話が心に残っていたからでした。
その方が入院中、幾夜か眠れない日が続いたので、そのことを主治医に訴えたのだそうです。
すると医師の答えは、次のようでした。「では、お薬の量を増やすか、別の薬を出してみましょう」
同じことを、病室を訪れた看護師さんに話したところ、「そう、辛かったでしょう。夜が長く思われたでしょうね」という言葉が返ってきて、その人は、救われた思いがしたと話してくれたのでした。
主治医の応答は、妥当で非の打ちどころのないものだったに違いありません。
でも、それは職業的な処置であって、必ずしも患者の心の痛みを癒すものではありませんでした。
それに比べて、看護師さんの応答には、共感とぬくもりがあったのです。
花粉症に苦しむシスターヘの私の応答も、不親切ではなかったけれど、親切なものでもありませんでした。
私たちの日々の生活の中には、この「不親切ではないけれど、親切でない」ものが、結構多いのではないでしょうか。
もう一歩踏み出す勇気と優しさに欠けていることが。
人から話を振られたときに、よくしてしまうことがすぐに「解決案を提示すること」
男性は特に・・
それはこうしたほうがいいですよ・・
その前に、つらかったことに、頑張ってこられたことに寄り添えたなら・・
それはお辛かったですね、大変でしたね・・ そういった一言を、心から言えることが大切ですね (ついつい忘れがちになりますが )
聞くこと
共感とは、受け止めること
受け入れると、自分がぶれてしまうことも
受け止めるは、自分の位置はぶれずに、目の前の方の声を、素直に聞きとめること
聞き上手は、話し上手とも言われます
話し方教室はあっても、聞き方教室はありません
テクニックだけでなく、思いやりや優しさ、人間力が問われるものだとも思いますね
Posted by 尾上 正 at
06:25
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2021年03月10日
震災10年 津波で流されなかった各地のその“土地”とは
東北大震災から、10年
インフラは整備されつつも、人のための復興はなかなか進んではいないですね
阪神大震災では、避難者が各地に散らばることになり、避難先で知人がいないことで孤立化が進みました
その学びから、地域単位で非難することになり、コミュニティーの維持が考えられましたが、慣れない土地での生活や、いまだ戻りたくても戻れない方々の思いに心が痛みます
東北大震災で、津波で多くのものが流される中で、流されない“土地”がありました
それは各地の“神社”です
東北大震災でも、避難か所としても使われていたそうです
これは、偶然ではなく“過去から学ぶ先人の知恵”が働いているのだと思います
先人たちが、多くの水害や土砂崩れ、天災から学び、この土地は大丈夫・・・
過去からの経験を次世代につないでいって、この土地に自分たちの神様をおいていいという“場所”として、選ばれた土地だと考えられます
賢者は歴史に学ぶ・・と言う格言もあります
過去から学び、未来に伝えていきたいとの思い
日本は面積では、世界の0.25%しかありません
それにもかかわらず、世界中で、マグニチュード6以上の地震で日本で起こるのは、約2割
この地震国日本では、ほんの小さな地震を含めると、平均して5分に1回地震が起こっているだとか
のど元過ぎればにせず、経験を生かし、過去から学ぶ姿勢が大切だと思います
インフラは整備されつつも、人のための復興はなかなか進んではいないですね
阪神大震災では、避難者が各地に散らばることになり、避難先で知人がいないことで孤立化が進みました
その学びから、地域単位で非難することになり、コミュニティーの維持が考えられましたが、慣れない土地での生活や、いまだ戻りたくても戻れない方々の思いに心が痛みます
東北大震災で、津波で多くのものが流される中で、流されない“土地”がありました
それは各地の“神社”です
東北大震災でも、避難か所としても使われていたそうです
これは、偶然ではなく“過去から学ぶ先人の知恵”が働いているのだと思います
先人たちが、多くの水害や土砂崩れ、天災から学び、この土地は大丈夫・・・
過去からの経験を次世代につないでいって、この土地に自分たちの神様をおいていいという“場所”として、選ばれた土地だと考えられます
賢者は歴史に学ぶ・・と言う格言もあります
過去から学び、未来に伝えていきたいとの思い
日本は面積では、世界の0.25%しかありません
それにもかかわらず、世界中で、マグニチュード6以上の地震で日本で起こるのは、約2割
この地震国日本では、ほんの小さな地震を含めると、平均して5分に1回地震が起こっているだとか
のど元過ぎればにせず、経験を生かし、過去から学ぶ姿勢が大切だと思います
Posted by 尾上 正 at
06:27
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2021年03月03日
最後のスター 吉永小百合さんの美しさの源とは
「吉永小百合 私の生き方から」
山田洋次監督
高倉健さんは「最後のスター」と言われましたが、健さん亡きあと、小百合さんしかいないでしょう。
素敵な女優さんはたくさんいるけど、小百合さんは別格です。
そのプレッシャーを思うと気の毒になるけど、でもしょうがないんです。
小百合さんが小百合さんであることは、あの人の任務なんですよ。
―いつも台本を現場に持ち込んでいませんけど、セリフは完璧?―
吉永
いやいや、怪しいときもありますよ。今日はいつもより怪しいから、もらった号外(台本の修正)を持ってます。基本的には台本は持たないですね。
天海 祐希
まず、これだけの年数、ずっとトップを走り続けていること。
吉永さんご自身が「女優・吉永小百合」という人物を一切邪魔してないっていうんですかね。
みなさんが映像を通して吉永さんに抱くイメージをそのままお持ちの方ですね、本当に。
そこにプラスするならば、もうちょっとお茶目で、もうちょっと可愛いらしい。それってすごいことだと思うんですよね。
私はちょっと「ブラック天海」が出るときがあるんですけど(笑)、でも「ブラック小百合」はいないんですよね。表に出しているものと中身が一緒の方って、私あまり出会ったことがないですね。
人としても女性としても、なんで素敵な方なんだろうと思います。本当に嘘がない、誤魔化しがない。
―吉永さんは映画界にとってどんな存在ですか?-
天海
ああもう、レジェンドでしょうね。 レジェンドでありながら、 バリバリの現役でみんなを引っ張ってる感じ。もうこういう方は出てこないと思います。
それは小百合さんが歩んでこられた時代や状況もあるでしょうけれど、小百合さんのような方はもう二度と現れないと思います。
今年74歳になられるなんて、信じられますか? あんなに可愛くてあんなに綺麗なんですよ?
小百合さんを見てると、人間って心の美しさが出るんだなって思います。そこに気がつくことができた自分も幸せだなって思いますね。
高倉健と初めて共演した「動乱」
1979年3月。吉永は北海道の最北端に近いサロベツ原野にいた。
撮影初日、一面の雪景色。限りなく続く原野には、日本海を渡って、シベリアから風が吹いてきて、凍てつくような寒さだった。
見渡す限り雪に覆われ、白一色の世界でした。その雪原で私は、長襦袢一枚、しかも裸足で演技したんです。寒いのなんのって。昼休みになると、スタッフとともにロケバスに駆け込みました。
ホカホカのカレーライスを夢中で食べ終え、ほっとして窓外の雪景色を見渡すと、ポツンとひとり、軍服を着て立ったまま食事をしている人がいました。それが高倉倉さんだった……」
なぜ暖をとらないのか、吉永は不思議でならなかったが、撮影を続けるうちに気づいたのだ。
「高倉さんは、酷寒の地に任務する将校になり切るために、一日中雪原に立っておられたんです。すさまじい役作り。その後も見事な集中力に、私は圧倒され続けました」
映画やテレビはフィクションですが、それを演じる人の中身が滲み出てくるものではないでしょうか
74才の現役のときにでも現場で台本を持たない
えーーと次のセリフはなんだっけ・・では、伝わらないからでしょうか
役になりきるために、撮影の時間外にも雪原に立ち続け、昼食もその中で立ったまま食べている高倉健さん
そのような姿はスクリーンには映し出されませんが、そこかに出てくる姿には凄みというものが出てくるものだと思います
心の美しさが外に向かって輝きを放つ吉永小百合さん
役作りにすべてをかけていく高倉健さん
人の内面が、その人の外側を形作っていくものだとも思います
Posted by 尾上 正 at
06:47
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