2019年11月20日
嫌いな人を好きになる必要はないけれども・・
月刊 到知 12月号から
兒玉 圭司 スベェンソン会長
私が思いますに、最後に行き着くところは愛ではないでしょうか。
夫婦愛、家族愛から始まって、社員への愛、仲間への愛、会社への愛、さらには地域への愛、国への愛、人類への愛。
すべては愛であって、愛こそが地球環境問題の克服に最も重要な意識ではないかと私は思うんです。
村上 和雄 筑波大学名誉教授
おっしゃる通りだと思います。
愛という言葉で思い出したのですが、ダライ・ラマとの対話に参加した時に、 一緒に参加されていた南アフリカのデズモンド・ツツ大主教という、ノーベル平和賞を受賞された方が、とてもユニークなことをおっしゃっていました。
ツツ大主教は、神様は人間のことをよくご存じだから、嫌いな人を好きになれとはおっしゃらないだろう。
しかし愛しなさいとおっしゃっているんだと。
つまり、愛と好きとは違うんだとおっしゃるんです。
兒玉
なるほど、嫌いな人を好きになる必要はないけれども、嫌いな人にも愛を持って向き合いなさいということですね。
村上
そうなんです。
どの宗教でも共通して説いているのが愛だと私は思います。
日本人は愛という言葉がピンとこないかもしれませんから、慈悲と解釈していただいてもいいでしょう。
日々生きていたら、それはないんじゃないか・・ということもありますね
人は感情の動物なので、嫌いな人を好きにはなかなかなれません
好きではないを人を好きになるのでさえも、難しいかも・・
でも、人として“愛”をもって、接することはできるのでは
日本人には“愛”という表現よりも、“礼節”といった表現があっているかもしれません
どんなことからも、自らを磨くことはできますね
Posted by 尾上 正 at 07:53│Comments(0)