2018年07月18日
一寸先は闇ではなく光である
横田 南嶺著 「二度とない人生だから今日一日は笑顔でいよう」から
生きていくのがつらくなったり、苦しくなったら、祈ってください。
神さまでも仏さまでも大自然でもご先祖さまでも、何に対して祈るのでもかまいません。
とにかく自分を超える何か大いなる存在の前にひれ伏して祈り続ける。
すると不思議と生きる力がわいてきます。
「祈り」という言葉には深い意味がこめられています。祈りの「い」は「いのち」や「生きる」という意味です。「のり」は「祝詞」という言葉に代表されるように、宣言することを意味します。
つまり「祈り」とは「生きると宣言する」ことなのです。
苦しいことやつらいことに直面した時、人は祈りを捧げます。
それはどんなにつらいことがあっても、死なずに生きていくのだ、といういのちの宣言なのです。
私たちは生きなければなりません。
たとえ孤独にうちひしがれ、愛する人を亡くし、地べたにはいつくばって、塗炭の苦しみを味わってもなお、人は生きなければなりません。
なぜならその先に光があるからです。
真民先生はこのように書いています。
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒濤の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に暗黒を突破すれば、光明の島に着くことを知っているそのように、人も一寸先は間ではなく光であることを知らねばならぬ
一寸先は闇ではないのです。闇だと思っても、「生きるのだ」「生きるのだ」と祈り続けていれば、必ず光がさしてきます。
私はこの「生きねばならぬ」という心を、次のような言葉で説明しています。
明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど、
今日一日は優しい言葉をかけていこう。
明日はどうなるかわかりませんが、今日一日、笑顔で暮らすことは、私たちが努力すればできることではないでしょうか。
明日どうなのかはどれにもわかりません
それどころか今日どうなるかも誰にもわかりません
でも、“今日一日どう過ごすのか”は、自分の手の中に
暑い・・ 元気でるなー ムリヤリっ・・
たとえそうであっても、続けると、そうなっていきます
Posted by 尾上 正 at 06:39│Comments(0)