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2021年05月12日

尾崎豊は、なぜ若くして死んでしまったのか

尾崎豊さんが亡くなられて、もう30年近くになります

まさに若者の“カリスマ”ともいえる存在でした

亡くなられたときに、まだ26才 なき

まだ10代のころに、青山学院高等部を中退して、同級生が卒業したその日に、伝説の初ライブが「ルイード」で行われました

コロナの影響で「ルイード」が閉店になります

大きな嵐の中で、色々なものが失われていくことに寂しくなります

初ライブの日に、“卒業”や“15の夜”などの今も歌い継がれる名曲が、歌われています

たしか、NHKだったと思いますが(うーん、ちがったかも)、当時の楽譜が紹介されて、たくさんの書き直しや、最初は“14の夜”の題名だったものが、曲の響きで“15の夜”に変えられていたことを知りました

まだ何も先が見えない中で、必死にもがいていたメッセージをみました


作家の渡辺昇一氏の自伝的小説で、渡辺氏の高校時代に、当時付き合っていた、学校中のアイドル的女性が、自分で“死”を選んでいたことが記されています

なぜ、“死”を選んだのかは本人しかわからないこととも思いますが、
“今”を“永遠”にするためと・・

“今”はきれいでも、これから先は・・   
“今”の自分が“永遠”になるためには・・


尾崎さんは、仲間内では冗談を言い合い、笑いあうような話好きな人だったとも

その後に、体制に反逆するカリスマとして、イメージづけられていきます

これから、30才代、40才代になって、体制に反逆してきたメッセージを歌い続けてきた自分が、体制の立場になっていく中で、この先どういうメッセージを送れるのか

自分の立ち位置に苦しみながら、酒やドラックにおぼれていきます

個人的なことですが、カラオケで私がとても好きで、たくさん歌ってきた歌 “シェリー”

“僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない”

“尾崎”が“尾崎”でいるためには・・

自分の作り出した“尾崎豊”のメッセージを、永遠に届け続けるためには、
今の自分を“永遠”にする方法しか選べなかったのかもしれません

本当の幸せとはなんなのか  
もっと身近なところにあるのではないかとも思います



Posted by 尾上 正 at 07:02│Comments(0)
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