2020年05月13日
目には見えないが、心の目で見えるものは
尾花 髙夫氏はプロ野球のコーチとして、7度のリーグ優勝、4度の日本一に導いた名コーチです
わたしは4人兄弟です。 一番上は8つ離れた兄、6つと4つ上の姉たちもいます。
貧しかったことから、両親は子どもは3人で終わりにするつもりでした。
わたしの実家は高野山の麓。かつては白装束に身を包んで、お布施をもらいながら高野山に登っていく巡礼が盛んでした。
わたしの両親も、巡礼の方たちにお金は渡せませんが、家でとれたお米や野菜をお施として渡していました。
あるとき、大きな巡礼団が来たそうです。その巡礼団に、わたしの母がお布施を渡したときのこと。
「お腹にお子さんがいらっしやいますね? 男の子です。
名前を髙夫か○○とつけると幸せな子になりますよ」
巡礼団のリーダーが、母に唐突にそう話しかけたそうです。
このとき母は自分が妊娠していることを知りませんでした。
両親によれば、そのとき巡礼団のリーダーは名前を2つ言ったらしい。
髙夫か○○と言ったそうですが、もう1つのほうは漢字が難しかったからか、両親は覚えていませんでした。
そう、髙夫の髙は、高野山にちなんだ髙です。
しばらくして母親がえずくようになりました。
巡礼のリーダーが言った通り、ほんとうに妊娠していたのです。
夫婦で相談して、おろそうかという話にいったんはなったそうです。
これ以上子どもが増えると生活できないからです。
ところが母が巡礼団のリーダーの話を思い出して、「仏様に仕える方が言ったことをむげにはできない」と、産んでくれることになりました。
それでわたしがこの世に生を享けたのです。
ありがたいことに、わたしは高野山を開いた弘法大師のおかげで生まれることがでたというわけです。
順礼の方には、小さな命が見えたのだと思います
その小さな命が、無事に生まれて将来幸せになるのであれば、おそらくは声をかけられなかったのでしょう
このままではそうではないと感じられたから、声をかけられたのでは
私利私欲が入ると、目の前が曇ってしまいます
人は仏のようにはなれませんが、少しでも曇りのない目で、普段見えないことも、見えてくることもあるかもしれませんね
尾花 髙夫著 「一流を育てる方程式」から
わたしは4人兄弟です。 一番上は8つ離れた兄、6つと4つ上の姉たちもいます。
貧しかったことから、両親は子どもは3人で終わりにするつもりでした。
わたしの実家は高野山の麓。かつては白装束に身を包んで、お布施をもらいながら高野山に登っていく巡礼が盛んでした。
わたしの両親も、巡礼の方たちにお金は渡せませんが、家でとれたお米や野菜をお施として渡していました。
あるとき、大きな巡礼団が来たそうです。その巡礼団に、わたしの母がお布施を渡したときのこと。
「お腹にお子さんがいらっしやいますね? 男の子です。
名前を髙夫か○○とつけると幸せな子になりますよ」
巡礼団のリーダーが、母に唐突にそう話しかけたそうです。
このとき母は自分が妊娠していることを知りませんでした。
両親によれば、そのとき巡礼団のリーダーは名前を2つ言ったらしい。
髙夫か○○と言ったそうですが、もう1つのほうは漢字が難しかったからか、両親は覚えていませんでした。
そう、髙夫の髙は、高野山にちなんだ髙です。
しばらくして母親がえずくようになりました。
巡礼のリーダーが言った通り、ほんとうに妊娠していたのです。
夫婦で相談して、おろそうかという話にいったんはなったそうです。
これ以上子どもが増えると生活できないからです。
ところが母が巡礼団のリーダーの話を思い出して、「仏様に仕える方が言ったことをむげにはできない」と、産んでくれることになりました。
それでわたしがこの世に生を享けたのです。
ありがたいことに、わたしは高野山を開いた弘法大師のおかげで生まれることがでたというわけです。
順礼の方には、小さな命が見えたのだと思います
その小さな命が、無事に生まれて将来幸せになるのであれば、おそらくは声をかけられなかったのでしょう
このままではそうではないと感じられたから、声をかけられたのでは
私利私欲が入ると、目の前が曇ってしまいます
人は仏のようにはなれませんが、少しでも曇りのない目で、普段見えないことも、見えてくることもあるかもしれませんね
Posted by 尾上 正 at 08:12│Comments(0)