2019年09月04日
過去を生かすも、未来を開くも今の生き方で決まる
正法寺住職 青山 俊菫著 「泥があるから、花は咲く」から
千年の歴史を持つ松任の本誓寺さまには、たくさんの宝物が伝えられており七月の初め、それらの宝物が一般に公開されます。
その宝物を拝観しながら、数日にわたっての聞法の会が開かれ、数回にわたって私もお話に参上しました。
その折拝見した宝物の一つに、石田幽汀(ゆうてい)という人の画いた幽霊の絵がありました。
日本の幽霊は、若い女の、恨めしい目をした姿と、相場が決まっているようです。
その絵も、髪をふり乱した、恨めしい目の若い女の姿でした。
その絵を前にして、住職の松本梶丸先生が、“幽霊には三つの特徴がある”という話をしてくださいました。
一つめは、おどろ髪をうしろへ長くひいているということ。
二つめは、両手を前へ出しているということ。
三つめは、足がないということ。
これにはそれぞれ意味があるそうです。
おどろ髪を長くひいているというのは、済んでしまってどうにもならない過去のマイナスを、いつまでもぐずぐずとひきずりつづける。
反省するというのと心の荷物としてひきずるというのは違います。
反省はしなくてはなりません。
しかし、どうにもならないことをいつまでもひきずりつづけ、心がうしろにばかりとらわれている。これをおどろ髪を長くひくという形であらわしているのだといいます。
二つめの両手を前へ出しているというのは、くるかこないかわからない未来を取り越し古労して、こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようと、生きる姿勢が前のめりになっている姿をいうのだそうです。
三つめの足がないというのは、生きるということは、今、ここの一瞬でしかありません。
今といったときはすでにその今は過去になっています。
そのとらえようもない今この一瞬というときにのせられて生命は存在します。
その一瞬を、心が過去へ、未来へと飛んでしまい、あるいは、今ここに居ながら、心があの人やこの人のところへ、または東京へ名古屋へと飛んでしまい、今ここを限りなく取りにがしつづけているありさまを、足がないという姿であらわすのだといいます。
なるほど・・・
人は過去に生きることも未来を生きることもできないのに、過去に生きている、未来を取り越し苦労していることも多いですね
過去のことにとらわれ続けたり、逆に過去の栄光を引きずり続けたり・・
今から目をそらしたいのかも
それを今に“足がついていない”と表現しているのでしょうか
今ここに生きている人は、輝いています
そうありたいものだと思います
Posted by 尾上 正 at 06:29│Comments(0)