2019年04月24日
銀座すきやばし次郎店主 小野二郎さんの努力の源とは
銀座すきやばしは、最高齢(93才)のミシュラン三つ星シェフとして、またオバマ元大統領が食事をされたことでも知られていて、日本一の寿司店ともいえる店ですね
店の外では、手のモデルと同じように、ずっと手袋をしておられることも有名です
「同じ鮨でもシミの無い手で握ったほうがおいしそうでしょ」
日本経済新聞記事から
子供のころに生活に困窮し、叔父の家に預けられたが、そこでも持て余されて、地元の料理旅館に小学1年生の時に奉公に出された。
早朝から午前0時ごろまで働きづめで、店が忙しくないときには学校に行ったが、居眠りをしているか、廊下に立たされているか、どちらかだった。
居場所のない人生だった。
叔父の家に預けられた後は、母とはほとんど会わずじまい。
父に至っては、いつ亡くなったかすら知らない。
太平洋戦争で、死を覚悟して帰ってきてからは、「自分の家族を、家庭をそうしちゃいけないと思っている。だから遊ぶより仕事、勉強」
握り続けることが、ようやく自分の手に入れた居場所を守ることだった。
生まれて初めて夢を抱き、「銀座で自分の店を持ちたい」
他の見習いが遊んでいるときも、ひたすら練習に打ち込んで、結婚してからも、たまの休みで家で寝ていると、子供が妻に「どっかのおじさんが寝ているよ」
自分は決して器用ではないが、何年でも何十年でも努力し続ける才能があった。
今でも寿司が好きだから、やっばり「店に出てきちゃう」
今日もつけ場にきっちり立ち、最高の寿司を握っている
小野二郎さんは大正生まれです
大正、昭和、平成、そして令和の時代に、一つの仕事を貫く姿って、本当にすごいと思います
願望、感謝、継続
言われてみれば当たり前のことですが、続けることは当たり前ではありません
本当に大切なことは、「シンプル」です
だれもが、自分の舞台の“主人公”
山を一歩で登ることはできません
目の前のことを一歩一歩・・
それが、振り返った時に、あーここまで来たんだなー・・と思えますね
店の外では、手のモデルと同じように、ずっと手袋をしておられることも有名です
「同じ鮨でもシミの無い手で握ったほうがおいしそうでしょ」
日本経済新聞記事から
子供のころに生活に困窮し、叔父の家に預けられたが、そこでも持て余されて、地元の料理旅館に小学1年生の時に奉公に出された。
早朝から午前0時ごろまで働きづめで、店が忙しくないときには学校に行ったが、居眠りをしているか、廊下に立たされているか、どちらかだった。
居場所のない人生だった。
叔父の家に預けられた後は、母とはほとんど会わずじまい。
父に至っては、いつ亡くなったかすら知らない。
太平洋戦争で、死を覚悟して帰ってきてからは、「自分の家族を、家庭をそうしちゃいけないと思っている。だから遊ぶより仕事、勉強」
握り続けることが、ようやく自分の手に入れた居場所を守ることだった。
生まれて初めて夢を抱き、「銀座で自分の店を持ちたい」
他の見習いが遊んでいるときも、ひたすら練習に打ち込んで、結婚してからも、たまの休みで家で寝ていると、子供が妻に「どっかのおじさんが寝ているよ」
自分は決して器用ではないが、何年でも何十年でも努力し続ける才能があった。
今でも寿司が好きだから、やっばり「店に出てきちゃう」
今日もつけ場にきっちり立ち、最高の寿司を握っている
小野二郎さんは大正生まれです
大正、昭和、平成、そして令和の時代に、一つの仕事を貫く姿って、本当にすごいと思います
願望、感謝、継続
言われてみれば当たり前のことですが、続けることは当たり前ではありません
本当に大切なことは、「シンプル」です
だれもが、自分の舞台の“主人公”
山を一歩で登ることはできません
目の前のことを一歩一歩・・
それが、振り返った時に、あーここまで来たんだなー・・と思えますね
Posted by 尾上 正 at 07:04│Comments(0)