2019年03月27日
ありがとう! イチロー
イチロー選手が引退を発表されました
私が住む兵庫では、1995年に阪神淡路大震災で、多くの方がお亡くなりになり、心に傷が深く刻まれました
その年に、オリックスのユニフォームの“がんばろう 神戸”が、どれだけ多くの人に力を与えたのか・・
それまで、優勝候補とは程遠かったオリックスが、勝ち続ける・・
先の見えない暗闇のような中で、神戸ルミナリエで、満点の輝きを見て、また明かりが灯るんだ・・
希望の光を見たのだと思います
仰木監督は、大敗した試合でうつむいているイチローに、お前は2塁打を打ったじゃないか・・
胸を張れ・・ 自分のできることを精いっぱいやればいい
その時にできる、精いっぱいをやっていた時代だったと思います
東北大震災でも、楽天の優勝が東北に力を与えました
引退会見では、「楽しかったのは、初めて200安打越えをした入団3年目まで」
その後は、期待に応え続ける苦労も・・・
2009年のWBCでは、決勝の韓国戦での同点での延長の場面で、2アウト2・3塁
今まで、どんなプレッシャーにもぶれなかったイチローが、初めて「この打席で結果を出せなければ、今までの自分はすべて消える」と緊張で震えるほど追いつめられていきます
決勝点となる2塁打を打ったときには、しびれました
今まで数々の修羅場をくぐってきたイチローが、2塁ベースに立ち、平静を装いながら、いったいこの場でどういう表情をすればいいんだろう・・ どこを見ればいいんだろう・・と、心が揺れ動いたと、当時インタビューで話されていました
世界的にメジャーになってからでも、オフリーグに、自分を育てた神戸スタジアムで練習をしています
スポーツが、スポーツにとどまらず、人に勇気を与えることを教えていただきました
28年の現役生活が、そのまま平成の時代と重なり合います
イチローは、日米との2日間の試合を“ギフト”をもらったと
自分の最後のバッティングを、日本で・・・
今まで、ほんとうにたくさんの“プレゼントをありがとう”
これからも“ファイト イチロー”
私が住む兵庫では、1995年に阪神淡路大震災で、多くの方がお亡くなりになり、心に傷が深く刻まれました
その年に、オリックスのユニフォームの“がんばろう 神戸”が、どれだけ多くの人に力を与えたのか・・
それまで、優勝候補とは程遠かったオリックスが、勝ち続ける・・
先の見えない暗闇のような中で、神戸ルミナリエで、満点の輝きを見て、また明かりが灯るんだ・・
希望の光を見たのだと思います
仰木監督は、大敗した試合でうつむいているイチローに、お前は2塁打を打ったじゃないか・・
胸を張れ・・ 自分のできることを精いっぱいやればいい
その時にできる、精いっぱいをやっていた時代だったと思います
東北大震災でも、楽天の優勝が東北に力を与えました
引退会見では、「楽しかったのは、初めて200安打越えをした入団3年目まで」
その後は、期待に応え続ける苦労も・・・
2009年のWBCでは、決勝の韓国戦での同点での延長の場面で、2アウト2・3塁
今まで、どんなプレッシャーにもぶれなかったイチローが、初めて「この打席で結果を出せなければ、今までの自分はすべて消える」と緊張で震えるほど追いつめられていきます
決勝点となる2塁打を打ったときには、しびれました
今まで数々の修羅場をくぐってきたイチローが、2塁ベースに立ち、平静を装いながら、いったいこの場でどういう表情をすればいいんだろう・・ どこを見ればいいんだろう・・と、心が揺れ動いたと、当時インタビューで話されていました
世界的にメジャーになってからでも、オフリーグに、自分を育てた神戸スタジアムで練習をしています
スポーツが、スポーツにとどまらず、人に勇気を与えることを教えていただきました
28年の現役生活が、そのまま平成の時代と重なり合います
イチローは、日米との2日間の試合を“ギフト”をもらったと
自分の最後のバッティングを、日本で・・・
今まで、ほんとうにたくさんの“プレゼントをありがとう”
これからも“ファイト イチロー”
Posted by 尾上 正 at 08:12│Comments(0)