2018年10月24日
日本人が大切にしてきた“美しさ”
ひすいこたろう著
なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?から
以前、熊本の幣立神宮で正式参拝をさせてもらったときに、神主さんがこんな話をしてくれました。
「日本人が大事にしてきた叡智である神道には、あるものがないんです」
他の宗教だったら考えられない決定的なものがない、何だと思いますか?
“教えがない”んだそうです。
教えがない宗教なんて、他に考えられます?
でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。
教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。
地獄がないから、誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。
日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。
教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない
そう、宗教じゃないんです。
「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。
「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」
神主さんの話にはまだ続きがありました。
「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」
これが答えでした。
「その行為は美しいのか?」
これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。
さだまさしさんは、どちらか迷った時は、どちらが“美しい”のかを自分の基準にしていると本に書いてありました
そんな思いが、あの秋桜(コスモス)のような、日本人の心に響く詩になっていったのでしょうね
正しさも大切ですが、人それぞれにその人なりの“正しさ”を持っています
多くの宗教では、自らの教えが正しく、そうでない教えは間違っていると・・
日本では、もともとたくさんの神様が共存し合っています
対立ではなく、認め合う、受け入れる美しさって、素敵だと思います
たつの市御津町 コスモス畑
Posted by 尾上 正 at 06:47│Comments(0)