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2015年12月09日

今に生きる“真田 幸村”

来年の大河ドラマは“真田丸” お城

日本人の気質として、義に生き清く散った生き方に共感を持つのでしょうね

  ちなみにフランダースの犬は、ヨーロッパでは“負け犬の物語”として
  考えられ人気がないのだとか・・
  
  懸命に生きて散った敗者に温かい想いを・・ 日本人の優しさでしょうか


幸村の旗印  六文銭に、真っ赤の鎧と兜

幸村(本名は信繁)はあえて戦場で目立ち、死亡率の高い“赤”を自軍の色に採用しています

まさに、絶対にひかない突撃の気持ちを色として表現したのでしょう


有名な話ですが、関ヶ原の戦いのとき、徳川軍本体の秀忠軍が、幸村の父昌幸と幸村軍が守る上田城の攻略にとまどって、関ヶ原の戦いに
“遅刻”してしまいます

家康はやむを得ず、ほぼすべてを自軍以外の大名の兵を使って、かろうじて勝利をおさめます

自軍の力で勝ったならば、すべてを取り仕切れますが、ほぼすべてを味方になってくれた軍の力で勝ったので、その報酬として、味方になった大名に多くの領土を分け与えます

多くの大名の力を完全にそぐことができなかったために、その後の明治維新にもつながったとも考えられています

幸村の行動は、今の日本の時代にも大きな影響を与えたとも考えられます


家康本陣に突撃した幸村は、家康まであと50メートルに迫り、家康は若造に首を取られるならここで腹を切る・・と覚悟を決めましたが(ひょっとしたら信長に首をとられた今川義元を思ったかも・・)、廻りの家臣が家康を押しとどめ、幸村軍はあと一歩で家康軍に押し返されたといわれています

家康は、幸村が大阪城に入るのを妨げていません
丸裸になった大阪城では勝ちは決まっているため、この戦いで豊臣方に味方になるものをできるだけ大阪に集めて一気に根絶やしにするためといわれていますが、幸村の武将の器を見抜けなかった自分の判断の甘さを心の底から悔いた一瞬だったのでしょう

歴史に“If”はありませんが、当時の戦国時代を終わらせることのできた人は家康ただ一人

この後に、300年の平和の時代が続き、今に伝わる文化が花開いていきます

何かに導かれて、時代が動いているのかもしれませんね






































Posted by 尾上 正 at 07:45│Comments(0)
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