2009年06月15日
心の障害者
以前読んだ本で、私は布団の中で読みながら涙が止まらなかったものです
営業道場http://www.eigyo-do.com/で紹介した時には、あまり反応が無かったのですが・・・
大久保さんという方の書かれたことで
大久保さんのお父さんは5才のときに事故で片足をなくされました
小学校に上がる前にお父さんと学校に行かれたときに、車の中でお父さんを待っている時に雪に埋もれたブランコに乗りたくなり、吠えていた犬のそばを通ったときに太ももを噛まれ大声を上げました
お父さんは小学校から飛び出し自分のズボンを下ろし義足を外し始めたときに、「恥ずかしい、やめて!!」と叫びました
それまでにお姉さんがそのことでいじめにあっていたこともあり、引け目に感じていました
「痛くない、大丈夫!!」と叫んで、もがいても、お父さんは外した義足からあててある白い布を怪我をした足に巻きつけ大久保さんを肩に担いで雪の中を“けんけん”をして車まで進んでいかれたそうです
小学校の窓を見ると校長先生らしき人が泣いていて、自分も涙が溢れ出しました
その時に涙が溢れ出したのは痛かったわけでなく、恥ずかしかったわけでもなく、体に障害は無くても心に重い障害を持っていたのは自分自身と、気がつかれたからだそうです
私自身、障害の重い人にお会いすると大変だなー・・と思ってしまうのですが、心のどこかに、自分は今のところ大丈夫という気持ちがあるとも思います
体の障害をマイナスとして、こちらからとらえているのは、自分の色眼鏡で見る心の狭さとも思います。自分や家族も今日にも事故などで障害を持つ可能性はあります
健常者=常に健やか(すこやか) 障害者=害に障る(さわる) 言葉だけの意味では差別とも言えるほどの上から見下した言い方です
自分が世界でたったひとりの人間なら、全ての人は世界でたった一人のかけがえの無い人ですね
営業道場http://www.eigyo-do.com/で紹介した時には、あまり反応が無かったのですが・・・
大久保さんという方の書かれたことで
大久保さんのお父さんは5才のときに事故で片足をなくされました
小学校に上がる前にお父さんと学校に行かれたときに、車の中でお父さんを待っている時に雪に埋もれたブランコに乗りたくなり、吠えていた犬のそばを通ったときに太ももを噛まれ大声を上げました
お父さんは小学校から飛び出し自分のズボンを下ろし義足を外し始めたときに、「恥ずかしい、やめて!!」と叫びました
それまでにお姉さんがそのことでいじめにあっていたこともあり、引け目に感じていました
「痛くない、大丈夫!!」と叫んで、もがいても、お父さんは外した義足からあててある白い布を怪我をした足に巻きつけ大久保さんを肩に担いで雪の中を“けんけん”をして車まで進んでいかれたそうです
小学校の窓を見ると校長先生らしき人が泣いていて、自分も涙が溢れ出しました
その時に涙が溢れ出したのは痛かったわけでなく、恥ずかしかったわけでもなく、体に障害は無くても心に重い障害を持っていたのは自分自身と、気がつかれたからだそうです
私自身、障害の重い人にお会いすると大変だなー・・と思ってしまうのですが、心のどこかに、自分は今のところ大丈夫という気持ちがあるとも思います
体の障害をマイナスとして、こちらからとらえているのは、自分の色眼鏡で見る心の狭さとも思います。自分や家族も今日にも事故などで障害を持つ可能性はあります
健常者=常に健やか(すこやか) 障害者=害に障る(さわる) 言葉だけの意味では差別とも言えるほどの上から見下した言い方です
自分が世界でたったひとりの人間なら、全ての人は世界でたった一人のかけがえの無い人ですね
Posted by 尾上 正 at 06:30│Comments(4)
この記事へのコメント
障害は「ある」のではなく、自分の頭の中で「作り出す」のですね。
自分の視野の限界が世界の限界だ。
自分の解釈・感覚が正しいのだ。
と考えてしまいがちですが、良い気づきをありがとうございます。
あと、いつも感じますが、尾上さんは「日が当たらずとも(迫害されようとも)一所懸命に生きる人」に温かい眼差しをお持ちですね。
勉強になります。
自分の視野の限界が世界の限界だ。
自分の解釈・感覚が正しいのだ。
と考えてしまいがちですが、良い気づきをありがとうございます。
あと、いつも感じますが、尾上さんは「日が当たらずとも(迫害されようとも)一所懸命に生きる人」に温かい眼差しをお持ちですね。
勉強になります。
Posted by 伊集院雅人 at 2009年06月15日 07:55
牧野眞一です。お世話になります。
今回は、水曜日では無かったので、ちょっとびっくりしました。
身体の不自由な方に接する場合、私達は動作に気遣う所が多々ありますが、『もっと普通に接して欲しい』との話を、身体の不自由な方から聞いた事があります。
尾上様が指摘されるように‘皆、一人一人が特別なオンリーワン’なら、健常者・障害者の区別はつける必要は、無くなりますよね。
気づきを頂き、感謝しております。今日の私のブログ(真実一路の牧野眞一です!!)も、感動する話です。是非、覗きにお越し下さい。
ありがとうございました。
今回は、水曜日では無かったので、ちょっとびっくりしました。
身体の不自由な方に接する場合、私達は動作に気遣う所が多々ありますが、『もっと普通に接して欲しい』との話を、身体の不自由な方から聞いた事があります。
尾上様が指摘されるように‘皆、一人一人が特別なオンリーワン’なら、健常者・障害者の区別はつける必要は、無くなりますよね。
気づきを頂き、感謝しております。今日の私のブログ(真実一路の牧野眞一です!!)も、感動する話です。是非、覗きにお越し下さい。
ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年06月17日 10:00
伊集院さん、ありがとうございます
一つのことにたいして、プラスと思えばプラスで、マイナスと思えばマイナスになりますね
少なくても周りに対してはプラスの気持ちを持ちたいと思います
一つのことにたいして、プラスと思えばプラスで、マイナスと思えばマイナスになりますね
少なくても周りに対してはプラスの気持ちを持ちたいと思います
Posted by 尾上 正 at 2009年06月18日 22:29
牧野さん、いつも読んでいただいてありがとうございます
今週は週の前半は、仕事で北海道で月曜に出させていただきました
牧野さんが言われるとおり、全ての人は「普通」で、かつ「素晴らしい一人」です
体や心の不都合な部分を含め、人や自分の欠点を言い出すと限りなくありますが、それは本当に「ダメな部分」なのでしょうか
顔が一人ひとり違うように、違いはあたりまえ
それが大事とも思います
少なくとも私は人のことをあれこれ言える資格は無いと身にしみて思います
今週は週の前半は、仕事で北海道で月曜に出させていただきました
牧野さんが言われるとおり、全ての人は「普通」で、かつ「素晴らしい一人」です
体や心の不都合な部分を含め、人や自分の欠点を言い出すと限りなくありますが、それは本当に「ダメな部分」なのでしょうか
顔が一人ひとり違うように、違いはあたりまえ
それが大事とも思います
少なくとも私は人のことをあれこれ言える資格は無いと身にしみて思います
Posted by 尾上 正 at 2009年06月20日 22:06