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2019年12月11日

日本はなぜ戦争に負けたのか?

1941年真珠湾攻撃から78年にあたり、真珠湾攻撃の12月7日に、日米関係者約3,000人が追悼式典に出席されました 国旗:日本 国旗:アメリカ

真珠湾での当時の米軍退役軍人13人が出席され、現在98才の方もおられます

あと数年で、当時のことを生で知る方々がいなくなってしまいます

平和の大切さを、次世代にも伝え続ける大切さを感じます

ラジオ内容から引用

昭和15年の日本の輸入内容

石油      アメリカから全輸入の約75%輸入

機械部品   アメリカから約60%輸入 

鉄        アメリカから約66%輸入

戦争に必要な、鉄・機械・石油の多くをアメリカに輸入する中で、止められて、どうやって戦い続けるつもりだったのか?
  
当時のアメリカは、国民総生産は、日本の10倍以上

自動車生産台数は、300倍以上

航空機生産台数は約30倍

石油産出量、日本1に対してアメリカ527

鉄などの鋼の生産量、日本1に対してアメリカ約10倍

戦争当時の世界の工業生産高の35%がアメリカで、日本は3.5%



10倍以上の相手に勝つには、どうすればいいのか

個人的に思うのでずが、例えば相撲では、体の小さな力士が、大きな力士に勝つためには、がっぶりよつに組んでしまっては、まったく勝負になりません

相手の意表をついて、素早く動いて、相手の地力を出させない形で、短期勝負でしか勝ち目はありませんね

長期にわたれば、力の差が出てきてしまいます

日本陸軍が製造した航空機の名機は“隼”(はやぶさ)

日本海軍が製造した航空機の名機は“ゼロ戦”

当時の陸軍海軍は、お互いのメンツがあり、別々に航空機を作っています

力を合わせて最も強く良い航空機を作るのが、誰が考えても一番いい方法では・・ プンッ

これでは、勝負に勝てるはずもない・・

「勝ちに不思議な勝あり、負けに不思議な負けなし」とも言われますが、まったく無謀な戦いに挑み、メンツにこだわり続ける体制では、負けるべくして負けたのでしょうね

一億総火の玉で勝つ・・・の精神論を振りかざし、日本を火の海にした過去から、自国第一が幅をきかせ、以前と同じような状態になりつつある今も、学ぶ必要があると思います

  


Posted by 尾上 正 at 07:16Comments(0)