2017年10月04日
幸せって何だろう
JAF Mate 10月号 安田 菜津紀 幸せってなんだろうから
どうしてこんなにたくさんの人がいるのに、寂しいって感じているんだろう
そう感じたのは高校二年生の夏だった
私は「国境なき子どもたち」が主催する「友情のレポーター」というプログラムに子ども記者として参加し、カンボジアで同世代が置かれている状況を取材、帰国した直後だった
降り立った新宿駅は人であふれかえり、それでいて誰も目を合わせることなく足早に過ぎ去っていく
見慣れたはずの風景に、はじめて強烈な違和感を抱いた瞬間だった
カンボジアで目の当たりにした子どもたちの日常は、確かに過酷な環境と言わざるを得なかった
根強い貧困、忍び寄る人身売買の手
しかし、それでいて私は不思議とそこに“豊かさ”を見出していた
例えばスラム街にお邪魔すると、狭い小屋の中に子どもたちが川の字になって仲良く眠っている
「皆、お母さんのお子さんですか?」と尋ねると、「この子はうちの子、でもこの子は隣の子で、その子は……分からないけど、まあいいわ―」
けらけらと笑いながらも、さも当たり前のようにそう話すのだ
バスを待つ列の人々や、たまたま信号待ちをしているバイク同士、一見長年の友人のように話していても、実はただの通りすがり同士だった
「ここでは家族の定義が広いんだ……」。おおらかに、そして自然と結びつき合う人々と過ごした10日間は、同時に私の日本社会への目をも変えることとなった
新宿に降り立った時に抱いた「寂しさ」を振り返るにつけ、こうも考えるようになる
「カンボジアはよかった、としみじみしているだけでは何も始まらない。カンボジアで学んだことを、身近に持ち帰らなければ」 自分の周りの家族の定義を変えてみよう、と
今、社会に出て数年が経つ同世代の中には、生きづらさを抱える人、生きる意味を感じられない、と訴える人も少なくない
そんな時、「うちの近くに引っ越してこない?」と声をかけることがある
これだけ通信手段が発達してもなお、誰かの「助けて」というサインに、走って駆けつけられる距離にいられるかどうかで人の心のあり様は大きく変わる
それは14年前、カンボジアから帰国し、切実に感じ続けていることの一つだ
気づけば近所には、ふらりと遊びに行ったり、何の約束もなしにご飯を食べに行ったりする友人たちが増えた
友人、というよりも、もはや親成のような感覚に近いかもしれない
「家族」はこうして小さな幸せと共に、広がっていく
本当の温かさって、人と人との温かさじゃないかともあります
お母さんが、小さな赤ちゃんを抱くあたたかさ・・
言葉と言葉とのぬくもり
小さな子供が学校帰りに手をつないだときの、手の感覚
デジタルな世の中にあっても、アナログの人のぬくもりが大切だと思います
まずは、今目の前の人に
Posted by 尾上 正 at
08:41
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